モグライダーとフリースタイル

モグライダーが面白いと思う。ゆにばーすは全くおもしろくない。それはなぜか。ゆにばーすだって多くの審査員に支持されている。順番の問題はあったにせよ、結果的にゆにばーすはモグライダーの点を上回った。じゃあ逆になぜおれはモグライダーが好きなのか。おれは即興性の高さが好きなのかもしれない。練習して練習して仕上がった完璧なものよりも、荒くても魅力のあるものが好きなのかもしれない。いまフリースタイルが流行っているのもそこだと思う。完璧なラップが聞きたければCDを聞けば良い。即興性の中から生まれるものに魅力を感じているからフリースタイルが人気。漫才は結局、決まった流れをなぞるだけ。フリートークのほうが面白いに決まっている。ただ、決まった流れを言っているだけに見えないからアンタッチャブルは面白かった。いや結局柴田が好きだからモグライダー芝が好きなだけなのか。好きなことをやっている(ように見える)相方をツッコミの対応力でさばくのを見るのが快感なのかもしれない。即興性、アド・リブ、非再現性、それこそが評価するべき一番のポイント。だからこそ、去年、敗者復活と全く同じ噛むネタをしたインディアンスは好きじゃない。誰に向けて漫才しているのかと、噛むことがネタに含まれている完璧性を讃えろということか。完璧に近づくことが漫才ならなんのためにライブをやっているのか。CDと同じ音を聞くためにライブに行く人はいない。決まった台本をなぞっているだけなのだとしても、それを忘れさせてくれるのがプロなんじゃないのか。それでもゆにばーす、インディアンス、和牛が人気なのは、そういうもの、完璧性を求めている人がいまでも多くて、荒く、不完全なものはまだメインストリームではないということなんだろう。