響け!ユーフォニアム 8話 アニメはまだ新雪の野に立っている

逆光になって光の線が輪郭に沿ってるのとか、車のライトが一瞬で過ぎていくのとか、アニメの表現の技術はどんどん進化してて、どれがこのアニメの功績なのかわからないけど、とにかく最高の8話だった。

アニメとか見てもあとで忘れるし見返すこともないしでそしたら見る意味あんのかなと思ってる中、5話以来の高坂さんと久美子の美しいシーンを見た。

お祭りの中、山に登ること。誰もいない山で綺麗な景色を見ること。演出されてない日常の中のふとした仕草の美しさ。普通じゃないことに憧れること。そうなるために行動してると告白されること。

そんなシチュエーション完璧じゃねえか!その完璧なシチュエーションをアニメに落とし込むことに成功してるってすごいことだよ。SHIROBAKO23話のみゃーもりの涙くらいシチュエーションに演出が負けてない。

ジブリや芸術方向ではなく京アニの日常路線の進化を想像してなかった。萌えアニメも進化するのか。けいおんとかハルヒでもう絵的な美しさは完成してるもんで、そういうもんだと思ってたけど5話8話で覆った。

文章書ける人は感じた時のそれをそのまま残して置けるんだろうか。主客未分の境地のまま文章を書くのか、それとも感動というブラックボックスを分解して理解してそれから文章に落とし込むのか。とにかく見た時のそれを忘れてしまうのがもどかしい。あとで文章を読んでそのときの気持ちを思い出せるような文章が書けたらいいのに。

感動を分解して理解して文章化どころかそれを作品にまでしちゃうって、作る側ってどんだけ遠くの人なんだよ。すごすぎるよ。

音楽や演劇やお笑いは目の前の人を感動させるわけで、もちろん技術もあるだろうけどカリスマ性とか個人のパフォーマンスによるところも大きいように思えて、それに比べて映画や漫画、小説、アニメは先人の作ったものを分解して理解して…って技術的傾向が強く思える。

その中でも映画やアニメは漫画や小説と違って複数で作るものだからより技術っぽくて、映画よりもアニメのほうが偶然性が低いからさらに技術っぽい。

セリフか、動きか、音楽か、その組み合わせなのか構造の理解はできないけど、萌え絵アニメの技術がまた一つ先に進んで、この構造が理解できる人がまた新しくアニメを作っていくことを考えると、数学とか科学の進化と流れは同じなんだな。

ラマヌジャンみたいなそれまでの流れ無視した数学が独立してあるみたいな、そういうアニメもあるだろうけど、基本はフェルマーの最終定理みたいに過去の研究者の上にできていくことを考えると、最近のアニメはつまらんなんていうのは間違いなんじゃないか。

魚喃キリコのblueの映画で、友達の、日常のふとした仕草の美しさに心を奪われる表現が個人的に物足りなかった反面、高坂さんのシーンはそれが完璧すぎて、京アニがblueをアニメ化してくれないかなと思った。

喧嘩稼業の工藤のようにアニメもまだ新雪の野に立っている。現状アニメは漫画映画に劣るものが多いけど、この前のピンポンやSHIROBAKO、響け!ユーフォニアムを見ると、まだまだこれからだなと思える。

喧嘩稼業(4)

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