スモーキンビリー

誠実であることは大事だが、うまくやることも大事だと学んできている。はずだけど、未だに変に真面目に誠実になってしまっているのかもしれない。今の会社にまともなマネジメントはない。だからすべての指示仕事をこなすことは現実的に不可能。それでもある程度頑張ってしまったり、やろうとしてしまう。自分のキャパの中でできる仕事に優先順位をつけて、できないものはさりげなく捨てる。そしてタスクを増やさないようにしている。これも自分では不真面目なつもりだけど真面目すぎるのかもしれない。仕事はすべてやる前提で、すっきりすべて終わらせることが善であるという考えで仕事をしている。もっとカオスに乱雑であってもいいのかもしれない。会社も社長もルーズで担当は俺一人でだから俺がちゃんとしていないといけないはず。なのだけど、一度決めた俺に不利なルールを俺だけが意固地に守っているような、仕事のための仕事を自分に課しているようなときがある。質の良い製品を納期通りにコンスタントに輸入するために正しくなければいけない。そのミッションは当然大事だけど常に正しくある必要はない。根本を押さえて捨てるところは捨てる。過去の仕事は思い切って捨てる。それが問題になったとしても必要なリスクと考える。

一般的に仕事がキャパオーバーなら、できる仕事をまわりに振るとか、上司に相談して仕事量を調整するとか、人員を増やす提案をするとか、仕組み化できるところを仕組み化するとかあるんだろうけど、仕組み化以外ではあまり実現可能と思えない。ローレベルな会社ではマネジメントや改善といった概念はほぼない。ローレベルな会社だからこそ自分一人が単に頑張ることでこなせることもある。単に頑張るのはバカっぽいけどこれが最適解であることも多い気がする。最近気づいたけどワークライフバランスを意識するとうまくいかない。時間内だけで働いて切り替えてプライベートを楽しんだりできない。バランスを目指して最低限の時間で十分に働こうと考えてもスタンスが落ちて働くのが辛くなる。虎であるかそうでないかが半端なときの方が辛いと李徴も言っていた。あークソ苛つく。仕事で苛つく。でも本質的にはこれは他者に対する不満というよりうまくできていない自分に対するもどかしさ。そこに向き合いたくないので文章にはしない。怒り。ここに対しての対処法の最適解は知らない。最適解ではないけど、運動や勉強などのプラスの行動を取ると救われることがある。殺す。殺す。間接的に殺す。殺す。愛。前職の役員がある社内イベントの壇上で、若いころはぶち殺したいと思う上司ばかりだったよと言って笑いをとっていた。同じイベントで仕事で最も大事なこととは?という質問にフリップに「愛」と一言書いていた。愛、殺す、愛、殺す、愛、殺す、それは両立する。本気で仕事をしているから殺すという気持ちと愛がそれぞれある。愛という憎悪。スモーキンビリー。この役員の人は自分自身の中で愛と殺意を両方持ちながら仕事していたんだなと今になって勇気づけられる。