永遠も半ばを過ぎて

なにかを書こう。なにかを書こうと思うときは、座ってみて、やろうと思っていたことがやる気にならないとき。せめてなにか生産的なことをと思って書いてみることが多い。前回の記事は3か月前。スタバで書いた。今もスタバ。少なくとも週に一度はスタバにいる。家で作業はできない。家では娘に絡まれる。娘の、数時間ぶりに見た時の美しさ可愛さ尊さ、しかしすぐに疲れて一人になりたくなってしまう。マリオワンダーやカービィのグルメフェスなど二人でプレイできるが、基本的に娘一人でやってもらおうと思っている。放置したほうが自分で試行錯誤してできるようになる。マリオワンダーのハナちゃんレース(グルメレースのようなもの)で娘がYが走るボタンであることを知らなくて負けているのを見たとき、Yボタン押しっぱなしで走るんだと教えるか迷って、教えなかった。何度も負けて泣きついてきたら教えてやろうと。そしたら2回目で理解してクリアしていた。俺が思ってる以上にできることがあるんだ。一緒にプレイしていたらもどかしくて教えたくなってしまう。寄り添って、ヘルプがあったときに助けるだけで良い。親はいても子は育つという言葉を昔読んだ。確かに親はいても子は育つ。親がいなければより育つ。だからなにか。なにを書こうとしていたか。そう、家では作業できない。だからスタバに行く。アプリで頼めば二杯目はベンティサイズでも100円。good。どうでもいいか。こんな話は。今は土曜日の朝。平日の怒りがまだ残っている。怒り。怒りではないのか。常に頭に、負の感情がある。頭の中がカユいんだ、そういう中島らもの本があったな。

ただ、こうして生きてきてみるとわかるのだが、めったにはない、何十年に一回くらいしかないかもしれないが、『生きていてよかった』と思う夜がある。一度でもそういうことがあれば、あとはゴミクズのような日々であっても生きていける。だから「あいつも生きてりゃよかったのに」と思う。生きていて、バカをやって、アル中になって、醜く老いていって、それでも「まんざらでもない」瞬間を額に入れてときどき眺めたりして、そうやって生きていればよかったのに、と思う。

 ―――僕に踏まれた町と僕が踏まれた町

確かこの文の前には、生きていてもクソみたいなことばかりだ、大人になる前に、浪人時代に死んだアイツが正しかったんじゃないか、という内容があった気がする。だからこそ、それでも生きていてよかったと思う夜があると言っていることに力がある。ふと、中島らもには娘がいたのかなと思って調べてみた。いた。

1978年 娘誕生時点で中島らも26歳

1986年 頭の中がカユいんだ 34歳(娘6歳)

1989年 僕に踏まれた町と僕が踏まれた町 37歳 (娘11歳)

1991年 今夜、すべてのバーで 39歳(娘13歳)

1993年 ガダラの豚 41歳(娘15歳)

1994年 永遠も半ばを過ぎて 42歳(娘16歳)

2004年 中島らも死去 52歳(娘26歳)

そして2009年に娘は31歳で作家活動を開始している。俺はその2009年に19歳で、学生寮の狭い部屋でガダラの豚を読んでいた。翌日の試験勉強をしなければいけないのに読みふけってしまった。高校のときVIPPERな俺で、永遠も半ばを過ぎてがおすすめされていて読んだ。この本の出版は中島らもの娘が16歳のとき。思春期だから影響受けそう、と思ったけどwikiによるとカズオイシグロの私を離さないでを読んで作家になったらしい。そういうものか。中島らもの、生きていてよかったと思う夜にはきっと娘も含まれていただろう。