明後日の努力

爆美女を抱く道は俺にはない。学問を極める道もない。創作に生きる道もない。爆美女の人生は中学の頃に消えた。学問の道は高校の頃に消えた。創作の道は大学の頃まであったんだきっと。それでも、俺は選ばなかった。健康のことやら実家のことやらを理由に、何もせず実家にこもるという道を選んだ。あの頃は30歳になるなんてのは、たぶん無いと思っていた。普通に考えて年齢を重ねるのはわかっていただけど、なんやかんや、30歳にはならないと思っていた。しかしなった。30歳になるとわかっていればもう少し、後悔しない生き方をしていたんだろうか。俺は、大学のとき、もっと良い道を選べただろうか。記憶を引き継いで過去に戻れば間違いなくもっと良い選択ができる。ただ、記憶を引き継がずにただ戻っても、俺は同じような生き方をするだろう。つまり、月並みにいえば、現実を見ないで日々を生きただろう。目の前の快楽と、明後日の方向の勉強だけをするという、高校の頃から変わらないあの生き方を、今と同じように、するだけだろう。俺のあの明後日の方向にしか努力できないこの特性はなんなんだろう。受験もしないのに倫理を勉強し、授業中は雑学を頭に入れ、関係のない読書をし、仕事で使わない英語を勉強する。役に立つことにアレルギーがあるのか。まっとうに生きることにアレルギーがあるのか。こういう生き方をするとどうなるのか。プライドだけ高いのに社会的地位はカスみたいな人間ができる。マア、こんなことは高校の頃に読んだグミ・チョコレート・パインで言われていたこと。知っていた。大学の頃に見ていた2ちゃんのまとめでも言われていたこと。知っていた。知っていてもそのとおりになってしまうのだ。避けようとしても、オイディプス王の予言のように、むしろ知っていたからこそそこに引き寄せられるのか。

人生を子どもに託してしまうママパパの気持ちがよくわかる。自分の人生がもう、行き詰まってしまったから、可能性の塊である子どもにね、託したいんだよね。おれはもうそんな生き方しかできない。というか、行き詰まった人生に突如現れた生きる意味というのはむしろめちゃくちゃ貴重。人が羨むような持ち物を何も持っていない俺の、唯一の、素晴らしい持ちもの。他の人がなれない最高のポジション。それが、この可愛い娘のパパであるというポジション。もう俺にはこれしかない。娘を溺愛することでしか生きがいを感じられない人生。幸か不幸かこのようになってしまった。

ばかにされたくねえええ俺の能力を活かしてエエエ。専門職の人を見て、羨ましい。俺も、着々と技術を身に着けて、必要とされてえ。噛み合ってない人生。どっかにつながると信じて明後日の方向に努力し続けるべきか、ただのコンテンツ摂取おじさんになるか、そのどっちかしかないんだろうね。誤った方向の努力とか、ただ自己満足ってことに気付いてない人多すぎーみたいな、うまく生きてるやつのツイートがクソムカつく。クソムカつくとか、30代になって言ってみじめなだけだろうか。