大人のような

頭がいっぱいと前回の記事で書いていたがいまでも変わらず同じ状況だ。何をすればいいのか整理できていない。やること、やりたいことが多すぎて、休日に整理しよう。土日で48時間もあるんだからいくらでもできる、資料を整理して、やることを整理して、来週の準備をして、仕事効率化のための工夫だってできてしまう、たくさんの時間があるように見える。が、実際は、金曜日の夜に午前3時ころまでフォートナイトをして、翌日土曜は昼過ぎに起きて、そのあとsaとおでかけして帰ってきてフォートナイトをプレイして日曜日は16時に起きる。そういう生活をすれば、すぐに、時間はなくなる。ゲームは楽しい。楽しい時間を犠牲にして別のなにかを優先するのは正しくない。それでも、仕事をより楽に気持ちよく進めるために、休日の時間を使いたいと考えてしまう。休日に仕事をやらなきゃと思いながら、実際は全く手を付けることができない。 ネットに溢れるライフハックもうるさい。工夫をする気力もでないんだ。日曜日はいつもこうだな、もう月曜日だが。働くと日曜日が楽しめなくなる。俺は日曜日をうまく使うことができない。いつも辛い。日曜日はいつも。何も進まないまま一週間が過ぎて、今週も、娯楽も楽しみ切ることができないまま、当然仕事もできるようにならず、何も進んでいないことを再確認しながら新しい一週間を待つ、この状態が辛い、、と書こうとしたが、俺の人生なんだかんだで進んでいる。結婚や転職、ちゃんと進んでいる。ただ今の仕事は手放したくないので、ちゃんとできるようになりたい。時間をたくさん使いたい。編集だったり、FPSTPSをやったり、スマホyoutubeまとめサイトを巡回しているときのような、違うか、とにかく時間を忘れて取り組んでしまうようなものに仕事がなればきっとなんかがよくなるんじゃないか。なんかがっtなんだ。何が言いたいのか。仕事っていうと、抽象的で何も伝わらないし自分でも何を言っているかわからなくなるな。例えば、扱っている媒体の知識。そのサイトの仕組み。CLの操作する画面の知識。データの意味。SEO。とかそういう、つまり知識面を、時間を忘れて漁るようなやつ、でありたいのに。伝え方が得意な営業マンとか、経営面でもサポートできる人材とか、そういうものを目指しているわけではない。人格や社会人としての成熟度みたいなところに難があったとしても、オタク的に知識は信用できるやつが俺が目指す現実的なタイプであるにもかかわらず(リク○ート的ではないにしても)、そもそもそこにもたどり着けない、というか、辿り着くような動きができていない、ただ、最低限のやらなければならないことすらこなすことができず、それ以上のプラスアルファのしごとだとか、未来に向けての投資もできず、ヒィヒィ言いながら期待値以下の仕事をやりつつ、では、何も楽しめない。割り切って余暇だけ楽しむタイプにも、なんだかんだいってなれない。年下の先輩とか、うるせえ教育係とか、会話が成り立たない上司とか、黙らせるには、おっ、と思わせるような、なにか、成長を見せなければ。というかむしろ、同僚や上司にいらついてしまうのは俺自身何もできないというコンプレックスが強いせいで必要以上に卑屈になってしまう(かつ卑屈を許さないリク○ート文化もあり)のとか色々であって、誰もそこまで悪くないはずなのに、結果としてはひどいものになってしまうという人間社会の仕組みーあの鈴木先生で学んだやつーになってしまっている可能性もあり。ああほんとうに文章書いても楽しいことないな。ブログは義務的。これでしっかり読み直して文章直したりしてたら余計にまじでつまんなくなるな。あああああああああああああ;いつか読み直したときのために今の現状を書いておくと、いえの机がごちゃごちゃ、todo整理できていないから物理的にもデータ的にも整理したいけど時間がなくてできないから土日にまわしてるのに土日もなんもできてなくてフォートナイトしちゃうよねっていう。あああオーバーウォッチもやりてえな。ただこの、4人でパーティ組めるゲームで、友人3人がプレイしているのをアプリで確認したあとに、PS4の電源を入れないということは、できないだろ?それがいとも簡単にできる人間にはなりたくない。無駄かもしれなくても、好奇心の向いたものがあれば立ち止まりたい。わからない言葉があればぐぐりたい。outlookの効率化ができるなら設定し直したい。明日がテストでガダラの豚を読み切ってしまった大学一年生の寮の部屋の風景や、長岡がノックをして麻雀に誘ってくる大学二年のこれもまた寮の風景が浮かび、ノスタルジアの光に照らされちまった。眼前のご馳走を前にして、立ち去る者がいるとすれば、野望を持ったものでしょ?人生の目的があるやつなら、目の前の楽しみを無視してもいい。俺はそういうやつじゃない。楽しいものがあれば立ち止まりたい。そういうふうにして生きてきた。でもそれじゃない生き方も、あるんじゃないか。仕事ばかりをしていれば仕事が楽しくなる。それはある。絶対ある。だから、芸術やゲーム、楽しいものを捨てないにしても、割り振り方を考えてもいいのかなと、大人のようなことを思ってしまう。どっちのほうが楽しいのかわからない。でも予感はある。予感というか、昔から常識のように言われてきた、ゲームばかりやるんじゃない!という、叱りのフレーズ、文化、ミーム、はおそらく正しいから、そう、大人のような、大人になるなら、そっちなんだろうな。寝るか、