ボケ

WACKのオーディションドキュメンタリーで魅力的な子は、目の前のことに盲目的とも言えるほど全力を尽くしていて、逆に早々に退場してしまう子は変に客観視してるように見える。盲目的な子は美しい一方で、客観的な子はあまり美しく見えない。盲目的な子はマキタスポーツのいうボケで、客観的な子はツッコミ。盲目的な子は山月記でいう虎で、客観的な子は人間の李徴。盲目的な子はピンポンでいうアクマで、客観的な子は名前も出てこない選手たち。ツッコミのメリットは、特定の会社や宗教団体に毒されないこと、物事を色んな角度から見れること、大きな失敗はしないこと、安全な立場からシニカルな視点を持てること。デメリットは、美しくないこと、社会に必要とされないこと、ゆっくりと死んでいくこと。

俺はきっと変われない。ただ人生のうちのひとときだけでも、ボケに、虎に、アクマになるときがあってもいいかもしれないと思っている。20代の、何もできない社会人に求められるのは間違いなくボケであったし、ツッコミである新人など可愛いわけがない。WACKのドキュメンタリーでそれが炙り出される。魅力的な子はいつもボケ。でも危ういのもまたボケ。俺は小さい頃からその危うさを避けてきた。盲目であるがゆえにボケ全開の人生を送った両親や、自分の体の弱さを思うとボケとして生きるのは破滅しか見えなかった。ツッコミを選べば破滅はない。しかし何も持たざる30代になる。そうして、愚かな、ツッコミしかできないおじさんたちがSNSの海で可視化されている。アイドルはボケとして生きているし、ボケとして生きることを肯定する歌や映画や漫画はたくさんあって、俺はそれらから常に感動を得てばかりいて、いつかアラバキで峯田を観たときに、この、ただの感動を得るだけのコンテンツイーターになるんじゃなくて俺は自分の人生を生きたいと思ったんだった。特に宣言はしない。俺はこうなるぞという宣言はしない。ただこのWACKのドキュメンタリーを観て、魅力的な子は常にボケで、俺が好きな甲本ヒロト峯田和伸大森靖子も最高のボケであるがゆえに魅力的だったということを改めて思い出し、最高のボケにはなれなくてもせめて腐ったキモツッコミおじさんにはなりたくないと思った。そのために俺ができるのは、こころよく我に働く仕事を見つけること、日々部屋の掃除をすること、スマホより娘を優先すること。