一度でも我に頭を下げさせし人みな死ねといのりてしこと

おれは結局どこにいても、一定の人間から嫌われてしまう。だいたいの他人の事がうっすら嫌いで、とても嫌いな人間もけっこういるので、そしてそれを隠せないので、人からすぐ嫌われてしまうんだろう。以前は上司や先輩が嫌いで、それでいて、やる気がなかった。いまは、やる気のないジジイババア共が嫌いだ。常に怒りがあることは変わっていない。人間が嫌いなことも変わっていない。ただ今のポジションのせいか、無責任な人間が新たに嫌いになった。やる気のない人間、怒られないことを最優先する人間、視野の狭い人間、嫌いだ。嫌いな人間のバリエーションが増えた。多くの人が嫌いになることはこの糞人間だらけの世界では普通なこと。それでも高級な人は嫌いなカス共を優しく導くことができるのだろう。おれには難しい。経験豊富であるべきジジイババア共がバカか無責任かバカで無責任なやつかしかいなくて、そいつらのミスや、ミスすることもせず動かないことを想定して仕事をして、一段上で仕事しているつもりになっていたけど、やっぱりこの馬鹿どもをコントロールする仕事をしているという驕り、があることによって、偉そうになってしまうのだろう。入社二年目の若造がその態度なのだから悪く言われても仕方ない。そう、気づけばおれはできない人の気持ちを忘れている。営業のころ、おれは電話ひとつスムーズにできなかった。今おれが無能扱いしているジジイ共は、少なくとも電話はスムーズにできている。会社にふと訪れた取引先とも楽しく雑談している。おれが営業のころはそういうことはできなかった。おれができて当たり前だと思うことをこのジジイ共ができないとして、どうしてジジイ共を責めることができようか。もっと優しくならなければいけない。いや、優しくするとつけあがるのだった。難しい。どうすればいいか。いまの時点では、おれは、うまく調整する必要はないと思っている。人間関係を調整するために、人に悪く思われないように考えたり、そういうことは大事なんだけど、大事ではあるけど、大事に思いすぎるとそれに絡まれて動けなくなる。勝手にしろと、嫌いになるなら嫌え。人間関係に捉われて自分を殺すのは転職しない人間のムーブ。おれは気にする必要はない。終わりだと思えば去ればよい。保守的な動きをする年齢じゃない。嫌われても、大事なことをしなければいけない。自分の人生と自分の仕事のために大事なこと。こころよく我にはたらく仕事あれそれを仕遂げて死なむと思ふ。いや、また怒りが湧いてきた。おれに検品をやらせようと画策するジジイババア、おれがおれの仕事をやらなきゃ発注も入荷も全く進まないことをわかってるよな?検品以前に検品しなくて済むクオリティのものを作ってもらわなきゃいけないとわかっているよな?自動的に輸入されて自動的に品質改善されてるわけではないんだよ。目の前の出荷のことはお前らがやれよと、おれはおれの仕事をしないといけないんだよ。このやろう。全体を見ろ。と宣うことはできず、最大の敵であるボスババアにはおれは頭を下げるのだ。話が通じないので従うしかない。天災だと思うしかない。それでもおれの本能は、このボスババアも人間であると知っている。だから糞理論でまくしたてられたときに、従う自分が許せないのだ。一度でも我に頭を下げさせし人みな死ねといのりてしこと。