本をあまり読まなくなって、本がより読めなくなった。漫画をあまり読まなくなって、昔より面白いと思える感度が狭くなった。でもそれは予想していたこと。好きなものから遠ざかれば自然とそうなるだろうと思っていたし。ああ、これは、書くことがないな。自分を社会のほうに当てはめるというほど無理しているつもりはないけど、自分の好きなように生きているよりも楽だ。ある程度自分を社会にアジャストした状態で生きているほうが何も考えずにだらだら生きていけても異分子になり辛く、そのほうが仕事も私生活もスムーズなので、やはり好きなことして生きていくルートは茨の道だったんだ。社会的に役に立つことばかりやっていると社会で生きるのは楽になることはわかったけど、その楽さに甘えて生きているとゲロダサ爺になることは見えている。すでにその兆候がある。まわりの無責任さやバカさに腹を立てて、常にプンスカ起こっている爺、そういうものになるようなビジョンがかすかに見えたことがある。それはよくない。

あなひなぐが完結していたことは知っていた。それでも読まずに避けていた。半端に読んでも漫画の面白さが普通に働くことをつまらなくさせるから、だからスキップとローファーも重版出来も途中で読むのをやめている。でも完結したなら読んでいいよなと思って、あさひなぐを読んでみた。あなひなぐは面白かったのだろうか。三須英子のところは読み返したらやはりよかった。部長として苦しむ野上えりもよかった。それでも正直終盤は飛ばし読みしてしまうほどに、、熱が入らなかった。過去に読んだときは2016年4月。2016年なんて最近だし自分も今、 なんだろう。書くことがない。やはりインプットがないと湧き出てくるものがないのか、それとも、仕事中心に生きているせいでやはり、頭が悪くなってきたのか。年取ったなあというやつか。これが。俺ももうすぐ33歳。別に今33歳であることは問題ないけど、7年後40歳というのはやばいと思う。7年といえば前あさひなぐを読んだのが2016年で7年前なのだけど、それをもう一回やったら40歳になるらしい。いや、たいしたことないか。俺が過去に思っていた33歳が恐ろしく爺だと思っていたけどそうでもなかったように40歳も爺ではない。人生100年ということなので、たいしたことじゃない。いや、人生100年であることが問題か。俺はもともと長生きするプランなんてない。年金もちゃんともらえるのか、そもそも空白期間に払ってなかったことがセーフなのかアウトなのかもいまいちわかっていない。どんだけiDeCoコスパ良かろうが先を見据えた人生などできないのでスルーしている。長生きするプランは今でもない。ただ死ぬつもりはないので普通にいけばそこそこ生きるんだろう。昔は漫画が生きがいだったのでヒストリエハンターハンターを読み切るまでには死ねないとか思ってたけど、まあ今でもそうだけど、生きたいというよりは生きねばならないという中でどうしていこうかと、でもそれはもともとそうか。別に変わっていることはない。ああ本当に、この世の中はネットを見てもリアルを見てもバカばかり。ネットは遮断すればいいけどリアルのバカはどうすればいいのか。カスもいる。キチガイもいる。カスはどうでもいいしキチガイはそこまで遭遇しないけどバカはたくさんいるし迷惑。長い。自分の理想は停滞して漫画を読んで不健康に暮らすこと。それは本当に爺さんにならないときっと実現できない。早朝、外でゆっくり歩きながらゆっくり煙草を吸う爺のうらやましいこと。家に帰って干し芋でも食いながら司馬遼太郎を読んでたりしたら尚うらやましい。ここはTSUTAYAのラウンジ。体のラインが出る服を着た色気のある女がいる。セックスがしてえ。セックスができないのなら爺になって理想の生活がしてえ。そういうこと。完