こじらせブスのMさん

疲れ果てたが仕事を進められないのでブログを書く今ここは三条のコメダ珈琲。書くことはあるのだろうか。しかし会社のPCはタイプしやすいな。家のmacをかっこつけてUSキーボードになってしまったせいでEnterと伸ばし棒をタイプするときに必ずタイプミスするので全く文章がかけなくて困る。というかじたくのPCじゃ妻がうしろにいないときしかかけないのでどちらにしろ無理。近頃はカネに余裕があるので生活を良くするものであればいくらでもお金を使いたいと考えている。今の会社はインセンティブの割合が大きい。俺は金が無い時代が長かったので、必要以上の金はいらない。年にボーナスやインセンティブで10~20万の上下があったとしても、その20万をとりにいくために頑張ることはできない。営業のため、売上目標がある。売上目標をクリアするのが大変。かといってインセンティブには動かされない。

会社のブスな女の先輩(Mさん)は見た目がかなり終わっている。おしゃれしているが、シャツが小さくてかがむと背中の肉が頻繁に見える。いつかケツの割れ目が見えたこともあった。ブスデブのため、乳の谷間が見えることもある。体のラインが見えてしまっていることも多い。かなり致命的な見た目とこじらせた性格のため、嫌悪感と、見下すような態度をとってしまう。だがこのMさん、仕事では結果を出していたり、別の部分では常識があったり食べ物やマナーに対して博識であったり、変に社内の人間に認められている。このMさんとの関わりが仕事をする中で一番多く、俺のストレスの大部分をこのMさんが占めている。Mさんと俺の上司であるKさん(美人上司)は異動したばかりで現在の部署の経験が浅く、実務ではKさんはMさんに頼る形になる。シングルマザーのKさん30歳はとこじらせブスの31歳の年上の部下(部署経験豊富)の関係も複雑で、実質Mさんが我々のチームの中で発言権が強くなっており、ストレスがたまる回数もまた多くなる。

会社の愚痴は筆が進むな。でもきょうはここまでにしよう。

失敗の本質

Kさん(30歳美人直属上司)が今カーネギーの人を動かすを読んでいると言った。昨日の同行訪問しての車の中で。毎月課題図書が部長より与えられているらしい。来月は失敗の本質を読むとのこと。綺麗でコミュ力営業力もあるが異動したばかりで現在の部署の知識は少なく、上司といっても、パリピ寄りの人間と思ってどこか下に見ていた。それが、人を動かすと失敗の本質を読むだと?最近、本を買っても全く読みきることができていない俺は、なんかいつか読まなきゃいけない古典というやつに特に苦手意識を持っていた。しかし、人生100年時代、そして専門をもたない社会人として生きていく上でここらへんの古典は読んだほうがいいよな、将来的には…と思い、すぐに読まないにしてもKindleで購入だけはしておこうと思っていた。そこにまさに、本なんて読めるの?と思っていた上司がこれらの古典を読んでいると知り、ムム、やはりこの会社の人はここらへん読んでるんだな、いけすかねえポジティブ野郎たちが意外にもスマートなんだなと、外面内面ともに負けているんじゃないかと、思った。

なんやかんやあって人を動かすを来月25日までに読了せよとのミッションがくだった。いや、あなたの来月の課題図書の失敗の本質も含めて即読んでやる。コミュ力ないのに本も読めないとか話にならない。何か勉強など向き合うものが欲しかった。そうじゃない社会人なら読書をすればいいのだ。

糞ビジネスフレームワークとか糞課題解決思考みたいなものでうまくやってやがる糞共…ではなく、スマートに読書もしているやつらが多数なのかもしれない。気付けばどの面においても勝てず、少しExcelが得意なだけの扱いにくい30代社員になるのは嫌だ。少しExcelが得意で必読書も読んでて意外に馬鹿にできない扱いにくい30代社員になったほうがいくらか良い。失敗の本質を読むために公園のベンチに来たが現在27ページ。早速ブログに逃げてしまったがこれから。

タイプがうまくできない

ハイキュー、今週で一気に時間軸が動いた。まじかーと思う反面、なんとも、、、、ああ書くのめんどくせえないきなり。三連休三日目深夜、これから何をしようかと思って、ホリエモンが毎日ブログ書くとかめんどくさいことをやれよめんどくさいことがコスパがいいんだよ。そうすれば何がバズるかとかだんだんわかってくるしとか言っててそれもそうだな、俺のブログでPVが伸びたのハイキューの記事だったな、ハイキューの記事を毎週書いていれば何かになっていたのかなとか思ったけども、まあ、どうでもいいな。Macのキーボードと仕事で使ってるthinkpadのキーボードが全然違うのでまともにタイプできない。あまりにも誤字脱字が多すぎてわざわざ直さないとマジで何書いているかわからなくなってしまう。でもある程度の誤字は気にせず書いていこう。といいつつ、何を書くべきかわからない。一応ハイキューのことでも書こうかと思っていた。¥いつか、ハイキュ0の試合は結果が読めてしまうとブログに書いたことがある。今回はそうではなかった。鴎台戦、予想外だった、この予想外という気持ち、連載漫画を毎週連載で読んでいなければ感じることができないサプライズ名だけに、本当に衝撃的。山王戦を後に読むのとリアルタイムで読むのでは全く違う、巻数が少なくなっていくことで、スラムダンクが終わると知りつつ読むのと、続きがあるつもりで読むのでは全く違う。ハイキュー、¥スラムダンクに近づいたなと思った。一方でネットの藩王はあまり良くないらしい。」確かに、日向が二年生になってからの話も読みたかった。」¥ハイキューの優れた点はたくさんあるが、腐女子やティ〰ンニ¥好かれているのは聞くが、¥いわゆる漫画好きがハイキューを好きだと聞くことは少ない気がする。別の嫌なことを思い出しrてしまった。¥仕事の別の県のGMと漫画の話をしていて、GMの読んだ漫画リストを見て、あーこの感じならシグルイとか嘘喰い、キングダムと会員じゃないですか?と上から目線で話してしまったこと、同じGMに、今度同行お願いしてもいいですか?と全くその気がないのに言ってしまったこと、思い出す。失敗だった。そんなこまけえことはどうでもいいな、今困っているのか、自分がどこに向かえばいいのかわからないこと。仕事がもう少しできるようになりたい。人生をもっと、まともな方へもっていきたい、いやいま現状十分良い状態ではあるのだけど、たまたま赤ドラいくつか引けただけで、適当な内回ししてたらテンパイしても振り込むだけだよって思う。オーバーウォッチでドゥームフィストがうまくなればいいかな、この日曜日は。というふうに考えていた今日。それでいいのだろうか。今俺がするべきことはこれでいいのだろうかとよく考える。だからこそ、皿洗いとか風呂掃除とかゴミ捨てのような家事をしているときは、ああ今間違ったことはしていないなと言う安心がある。仕事でも、かんたんな雑務をしているときは安心する。自分は考えることが好きな人間だと思っていた。論理的だと思っていた。頭の回転が速いと思っていた。むしろ逆で、何も考えなくて住むことが好きで、直感的で、頭の回転は遅い。だから仮に運動神経があっても球技はできなかっただろうな。。ハイキューの烏野高校の皆が超攻撃型で頭フル回転で動いているのを見ると、オーバーウォッチで敵のウルトの声が聞こえても瞬時にどうすべきか判断できないような俺は頭の回転が遅いというか、上達の方法のほうなものを意識しないでプレイしているんだなと、勉強のやり方がわからない中学二年生と同じだなと。目がシパシパする。オーバーウォッチでカオルとフジノとミステリーモードをやって思いのほか楽しくて目がギンギンになってしまっていた。

俺は、」もうまともに本を読んだりできないのかもしれない¥。三体やトヨトミの野望など、途中ですぐ飽きてやめてしまう。小説だけではなくてそれ以外でも、結構気軽にキンドルで本を買って、読まずに放置している。You Tubeばかりみてしまう。自分が今YouTubeの方向を向いているならそっちでなにかできないか探してみるべきなんだろうか。Overwatchの方向を向いているならそっちなんだろうか。経済の方、データ分析の方、マーケティングの方、を向いてみようにも、楽しめずにすぐにへたれてしまう。自然と行ってしまうこと、の方向で何かをするべきなんだろう。例えばYouTube可好きならYouTubeの人になればいいんだと、Overwatchが好きならe-Sportsでなにかできないか考えてみればいいんだと、そうホリエモンや西野や箕輪なんかは言うんだろうけど、そういうのができるのも才能だよなと、エネルギーがあるよなと思う。¥俺の得意なことであった編集という能力は、今は殆どのユーチューバーが持っていて、しかも相当似レベルが高い。¥この移り変わっていく世界で移り変わり方もどんどん加速していく中で、¥自分の市場価値がどこにあるのかしっかり考えないまま、今の仕事をしていていいのだろうか、今の会社の価値観の方向での成長を目指していていいのだろうか、俺は今何をすべきなのだろうか、ということを考えながら体を保湿しながら俺はいつもその後加藤純一の動画を見たりしながら寝ている

大森靖子ハンドメイドシンガイアツアー 新潟公演

大森靖子が好きとはなかなか言い辛い。まわりの、センスがあると思う友人達で大森靖子を認めているひとがいないからだろうか。自分のセンスだけでは自信がないのか。あまりにも、美しすぎた。所作のすべてが、そもそも顔が美しい。調べたわけじゃないがたぶん整形だろう。整形でなければあまりにも美しくなりすぎて説明がつかない。背中のジッパーのYouTube動画の頃と、TIF初出演の謎の感動というタグをニコニコでつけられていた頃と、サマーセールで失礼な岩淵弘樹にすら怒らず表現していたあの頃と同じ顔だとは思えない。いや、整形かどうかという話がしたいわけじゃない。人が才能を認められて、進化して美しくなったその姿が凄すぎて圧倒された。

新潟のGOLDEN PIGS、想像以上にメンヘラぽい格好の女がたくさんいた。やばい見た目のメンヘラ、可愛いメンヘラ、普通のブス、普通の可愛い子など女の子が8割を占め、残りは汚いオタクだった。6年前はじめてYouTubeで見たときの大森靖子よりも3年前のARABAKIで見た大森靖子は可愛くなっていた。今日観た大森靖子も可愛かったが、よりアイドル感が増していた。ZOCの影響だろうか。そういえばZOCのfamily nameも弾き語りしていた。弾き語りパートではまわりでらすすり泣く声が聞こえた。フェスの不特定多数向けではなくワンマンにくる層に対して直のスペクトル。刺さる。いや、正直俺は大森靖子の世界観が刺さっているわけではない。女の子ではないので刺さっていない。2割いた汚いアイドルオタクでもなく、ただ、背中のジッパーの動画を観たときからあの痛々しさとかっこよさのバランスに打ちのめされ、その動画をツイッターにあげたふるやくんが、もう大森靖子にそこまで惹かれなくなったようなことを呟いていても、俺はあの打ちのめされ、を続けている。あのパワーは間違いがない。3年前のARABAKIではじめて峯田をみたときに思った、あの、峯田が良かったと言うだけでなく、俺は俺の人生をちゃんとやろうと思ったそのときと同じことをまた思った。大森靖子本人の輝きを観に来たし、それが観れた。ただ、ほかの刺さっている女の子たちが刺さっている大森靖子のメッセージ、ブスとかなんとかそういう外からのムカつく評価じゃなく自分を愛せとか、それでも外からクソみたいな評価がきて辛いけどそれでも…みたいな、たぶんそういうやつは、娘がもしブスになったとしても、救いになるんだろう。会場ですら男の目線でブスが多いなとか意外と可愛い子もいるんだなとか見ていた俺はその厄介な外からの評価の一部なので、今更ブスの光を祈ることはできないが、娘がブスになったらその光を信じたいし大森靖子がその先頭にいてくれるとしたらありがたい。

メイン

仕事ができねえ。仕事に取りかかれねえ。オーバーウォッチの指南動画を見ながら濃厚つけめん1060円を1人で食べて、腹いっぱいになりすぎて帰れずにつけめん屋の前の暑いベンチでただ人のブログ、17.5歳のセックスか戦争を知ったガキのモードを読んだりしつつオフィスに帰ってフリーアドレスの席で仕事を再開しようにも12時半、ちょうど同じオフィスの別会社の人間が飯を食う時間でうるさくて集中できない。先日部長にすすめられた音楽(ミューズやCHONなど)を聞きながら、やはり仕事ができないのでブログに手を付け始めた。毎日仕事の時間が長く、余った時間でなにをしようにも、なにもできない。ただOWの動画を見ていたり、AマッソのYouTubeチャンネルを見たりしているだけの時間が挟まってまた仕事を再開したりしているだけ。自分の時間を意義のあるものにできていない、ので、もう少し、少しでも興味が向いたものに対してしっかり没入してみようと、読みたいと思った漫画があれば気軽にKindleで買ってすぐ読もうと、OWがやりたければプレイして動画を人に見せてちゃんと上達しようと思って、昨日は久々に夜ふかしをして2時頃までOWの動画を撮影していた。案の定だが今日は起きるのが遅れ、生活リズムが崩れたせいか体がだるく集中もできない。というか、そういえばこれがデフォルトだったな。だるい。一日中動くなんて不可能。働けない働きたくないといいつつ、ここ数日は特別で、起きる時間が7時頃に固定され、一日中動いてまた熟睡できアトピーも落ちついているという日々だった。安定して朝起きることによって、パフォーマンスが普通の社会人並になっていた気がする。俺でも普通に生きれるらしい。きっと来週はしっかり寝ればしっかり働ける。今日は無理だけど来週は大丈夫。でも今日やらなければいけないこともたくさんある。そろそろ美人GMとブスチームリーダーが帰ってくる。そしたらミューズを聞きながらこうやってブログを書くこともできなくなる。そういえばミューズはあんまり、好みじゃないかもな。

家に帰ればOWができる。でも来週は出張だしアポも埋まっちゃってるしそれが終わればお盆休みだけどそれが有意義な時間になることはほぼなく、というか何を持って有意義と言えるのかもわからないが、とにかく一瞬で休みは過ぎて、そしたらまたアポが入った19日月曜日がはじまるわけで、でもそのあとは娘が生まれるかもしれない。無事に生まれてくれ。頼む。それだけは頼む。しかし無事に生まれたところで子どもに全振りする人生はだめだ。子どもは子どもの人生。俺は俺の人生。子どもができたら子どものための人生に移行できる。何者にもなれない自分を、父親である自分に移行することである程度楽になるというのは頭のいい人が言っているのを聞いたことがある。たしかにそうだと思う、が、それでも自分は自分でちゃんと前に進むようにするべきだ。毎日の辛さを相殺するための麻薬コンテンツを毎日貪るだけの、寝ながら見たくもないYouTubeのおすすめ動画を見ているのは間違っている。子どもができればカメラを買ってカメラパパになるかもしれない。時間の使い方はある程度変わるだろう。特にはじめのうちは生活が一変して子ども一辺倒になるんだろう。だとしてもそれを継続したくない。自分の時間にYouTubeを観続けるのもいけない。自分は自分のやりたいことをしなければ。OWでもいいから向き合って取り組まなくてはいけない。いや、できればOWには取り組みたくない。筋トレでも本でもカメラでもなんでもいいから、家族とは別の個別の人生を継続させたい。そうでなくては、、、そうでなくてはなんだんだ。なんでそんなことを思っているんだ俺は。わかっている。子どもを大切にしすぎてしまいそうでこわいんだ。無事に生まれて無事に育って、しかもわりかし可愛く育つイメージでいる。子どもになにかあったとき、または思ったより可愛く思えなかったときの落差がこわい。子どもが無事に育ちかつ可愛く育ったとしても、自分しか見ていない親はいやだと思う。ほんとうは、家族の中で父親という役割ができること自体はむしろ心地よく思っている。でもそこに埋もれて帰ってこれなくなるのはこわい。まあこれは、働く前に思った虎になるというやつと同じで、変化のときに感じる恐怖の一般的なものなのかもしれない。だったら気にしなくて良いのか。いやほんとうはそんなことはどうでもよくて、今からやらなくてはいけない先方へのTELとか資料作成とかがめちゃめちゃだるいとか、オフィスの別会社の陽キャたちがうるせえとかそこがメイン

俺の部署は自分と新卒とぶすな女の先輩の3人だけで、このぶすに対して毎日腹をたてている。ねむい。ねむいから帰りたいがバスの時間がまだなのでブログを書き始めた。頭に浮かぶことは仕事だるいねむいブス死ねのあたり。ああ、

明日はzazenのライブに行ける。それ以外のトピックス、というか俺の人生の今の大きなうねり、で行くと、娘が生まれるということがある。娘か。娘という単語を自分に関わりのある言葉として使ったのははじめてだ。

かけないな、やめよう

中1の頃好きだった子に会った

中1の頃好きだった子に会った。向こうもアラサーのはずなのに、めちゃくちゃに可愛かった。俺は嫁の付き添いで大学病院のタリーズに来ていた。窓際でリモートワークをしていた。病院を出入りする人たちが窓ごしから見える。あれは、あの子だ。Aだ。かわいい。多分間違いなくAだ。中学卒業以来、同窓会でちらと見かけただけだが、わかる。Aだ。Aは同い年くらいのブスめの女と、子供ふたりの4人で俺のいるタリーズに近づいてきた。話しかけるべきか否か、話しかけるとすれば何を話すか逡巡した。5分ほど経ってから意を決して話しかけた。

すみません、A…さん?はい…?あ、俺中1の頃隣の席だったあの…あ~~顔変わった??笑 ああ、うん。あ、確認したかっただけだから…お子さんいるの?ああこれは甥っ子。ああそうなんだ。。沈黙。今日どうしたの?ああ奥さんが…あそうなんだー。うん、じゃあね。逃げるように立ち去った。うしろではすごーいと聞こえた。

ああ甥っ子なんだ。かわいいねとか、そうなんだ。結婚してないの?とかまだ地元にいるの?とか、いろいろ聞けたことはあった。しかし聞くことが出来なかった。話が盛り上がらなかったという以上に、そもそも俺はお話をしなかった。自分から話しかけたにも関わらず、いつもどおりの相手まかせのコミュニケーションに即移行した。俺はコミュニケーションが苦手、なのだけど、それだけではなくて、コミュニケーションを怖がっている。そこが問題。社会人になってある程度仕事も慣れてきて、プライベートも悪くない今の状況においてもここまでしどろもどろになってしまうのだから、俺の会話下手の根底にあるのは自信のなさではないのかもしれない。

「俺は根暗でいい。人とのコミュニケーションなど無駄。自分のやりたいことをやる。人間関係に悩まされない生活は快適。」このスタンスを否定する人や言説を見たときも、死ねボケと思って相手にもしなかった。しかし、この、今回のような、瞬間的な会話がまるでできないことはやはり問題だ。何か言わなきゃという気持ちと、怖いから会話を終わらせなきゃという気持ちに支配されて、瞬間的にフレーズがでてこない。うまく会話ができる、口がうまいやつになりたいわけじゃない。ただ、最低限会話を楽しむための能力は身につけたい。
自分のキャラクターに甘んじて、口下手であること、集団やコミュニケーションから逃げることを自分に許している。こういう自分を許すこと自体は間違っていないと思うが、もう少し、マシにするための、つまり、会話をすぐやめないである程度の沈黙を許容する度胸を身につけたり、会話をすぐやめる癖をやめたり、最低限のコミュニケーションで済むところでも人対人であるという意識を持ったり、そういう、マシにするための、並の人間に溶け込むための動きは必要かなと思った。

しかし、上記の反省よりも強く頭を支配したのは、可愛い、ということ。やはり嫁よりも圧倒的に、可愛い。それも、美人というのではなく、宮崎あおい方向の可愛さ。一瞬でいいから愛し合いたかった。そうすれば満足があった。RPGで取りそこねた宝箱のように、宝箱の中に何が入っていたか確認だけしたい。現状に不満があるわけじゃない。ただ、そこを通ってからここに来たかった。もう二度と体験できないあの、毎日好きな子と隣の席に座っておしゃべりできたあの頃をもう一度、やり直せたなら、とやはりいつもどおり思ってしまう。

一度でも可愛さを手にしたこともある人間とそうでない人間には差が出る。奥田民生になりたいボーイは狂わせるガールを一度つかんでいる。それがない人間は、それを一生追い求めてしまう。童貞はセックスを一生追い求めてしまう。追い求める価値がないということを実感したい。それが大事なんだ。

しかししかし、今回の一連の出来事によって生まれた感情が、愛し合いたかったとか、なんて俺はだめなんだとか、負の感情だけでなく、未来に向けた前向きな反省が含まれていたことは俺の成長だと思いたい。