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散りたい

オーバーウォッチをやりたいがカオルが15分待てというのでブログを書く。たった今家に着いたところで、その前はsyrupさんと電話をして、その前は28歳imと飲んでホテルを逃したところである。長岡でimとホテルに行かなかったことを悔やんでSHちゃんに相談したら、ホテル行く?とストレートに誘うのが正解だったと回答がきた。そうなのか。ホテルに行けばよかった。実際俺のクソ人間テクを使えば誘うことはできたがやはり28歳となると引いてしまうところがありうまく誘えなかった。このモヤモヤを晴らすためsyrupさんにTELしたらカキヌマと楽しそうに飲んでいるところだった。なんて楽しそうに・・・柿沼といえば嫌われる勇気の編集者、山田玲司の元担当柿沼を連想するが、あの柿沼と同じくらいのアウトサイダーだった。絶賛膣ドカタ中と言える、可愛いFさんを紹介してくれるような女友達が俺も欲しかった。

最近は春樹厨として騎士団長殺しを読んでいるがなかなか読み進められない。imは江国香織乙一が好きだと言っていた。ラブホテルに場所も調べたのにうまくいかなかったのは致命的。月火水とシコってそのあとシコらず溜めていたせいでギラギラが出てしまっていたか。非常に、バランスが難しい。できれば24歳くらいで肌ピチピチならゴミカス渡辺を表に出して好きにできたのに28歳というとなかなかどうして、良心が先にでてしまう。結婚する気ないのに28歳をホテルに誘うのは結構難しいのではないか。この28歳imとは先週の街コンで会い、カップリングとなった。カップリングのシートで18人中9人のマルがついていたので俺はかなり承認欲求を満たすことができた。っ承認欲求といえばカキヌマも承認欲求がどうのと言っていた。風俗で承認欲求を充たすですゲテモノ系は会田誠しか知りませんと言っていた。そんな女友達が俺も欲しかった。

しかしなんだろう、街コンに来る女は若い子はブスで綺麗目はアラサー、綺麗目はやはり売れ残りの哀愁が漂い肌は少し荒れているのがなんとも、imも綺麗目だが肌はあまり綺麗じゃなくて、ブスでも肌さえ良ければよい俺としてはなんとしても今日やらねばという気持ちになれなかった。カオルがあと数分でオーバーウォッチができるというのでそちらにいく。

なぜsyrupさんは単純に可愛いと思える女と出会えるのか。ここしかないと思えるような子に出会ってある程度遊んで青春を感じてそのあと散りたい

調和のオーブ

ツイッターで俺のいた映研の現在の映画の告知が流れて、どの映画もつまんなそうだなと思って、俺の映画はもっと綺麗な場面がたくさんあったぞ、今お前らが俺の映画を見たらクオリティの高さに驚くぞ、と思って自分の映画を見返した。いつものことだけどクオリティやっぱり低いなと思い直した。その映画を見るときはやはりTちゃんのシーン、俺の部屋で二人きりで撮ったあの場面、一分間くらいの、を見返して、これはやれたかも委員会案件だなと、いつものことだけど思った。俺の借りている部屋が綺麗なら少なくともTちゃんとSHちゃんとうまくいっていたはずだ。カップル気分で撮った映像のTちゃんのたまらん笑顔の下にある小さい胸とその下にある俺の汚いベッドの上に二人で座ってiPhoneの8ミリアプリで撮りながらあのとき俺はふざけて脚を触ったんだったかは覚えてないけどあれは部屋が綺麗だとか関係なくいけたはずだ。なんか流れで付き合ってるみたいになっちゃうみたいなのがあれば良かったな、A子とはそうなっていたはずなのにどうして頻繁に会わなかったんだろうか、記憶がどんどんなくなる。Tちゃんとあの流れを維持して、より恋人に対する笑顔のようなものを撮って、それでいて他の登場人物もいい笑顔で撮れて、話を複雑にしないでコンパクトにまとめて、アジカンの今を生きてを流してエンドロールだったら完璧な映画だったな(この世界線では横道世乃介は存在しない)ということを考えていた横になっていたのが20:30で寝るには早すぎる上にこの妄想はいつものことだけど無駄だと思ったのでスティルライフ二編目ヤーチャイカを読んでいたが読書すら無駄なんじゃないかと思ってブログを書き始めたのが今ちょうど21:00。

スティルライフ冒頭

「この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。

世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。

きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。それを喜んでいる、世界の方はあまりきみのことを考えていないかもしれない。

でも、外に立つ世界とは別に、きみの中にも、一つの世界がある。きみは自分の内部の広大な薄明の世界を想像してみることができる。きみの意識は二つの世界の境界の飢えにいる。大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。たとえば、星を見るとかして。

二つの世界の呼応と調和がうまくいっていると、毎日を過すのはずっと楽になる。心の力をよけいなことに使う必要がなくなる。

水の味がわかり、人を怒らせることが少なくなる。

星を正しく見るのはむずかしいが、上手になればそれだけの効果があがるだろう。

星ではなく、せせらぎや、セミ時雨でもいいのだけれども。」

引用してはみたがこの冒頭のよさはあまりよくわかっていない。村上春樹より地に足がついていて、村上春樹ほどキザではないけど、村上春樹のようにたまに実際的な社会が出てくる。なんだか面白かった気がする。それで二編目のヤーチャイカも読んでいたのが青森からの帰りの新幹線。行きの新幹線ではスティルライフを読んで、ホテルでは芥川賞を獲った山下澄人のしんせかいを読んだ。

「しかしぼくは俳優というものに、なりたくなっていたわけじゃないのなら、『向いていない』と言われても傷つく必要はない。ないのにそう思っていたのだ。染まるというのはそういうことだ。」しんせかい

これはわかる。ただのおっさんと思っていた社長や専務や上司、どうでもいいと思っていたはずなのに、今じゃ怒られるとへこむ。いつ辞めたっていいんだと思っていても、会社での評価が気になってしまう。俺ももう染まっている。

青森の病院で新しい薬を顔に塗って、いつものくせで顔を掻くとべたついて気持ち悪い。アトピーの地獄が俺のアイデンティティなのに、病院にいくともっと悪い人がたくさんいて、先生には調子良いねと言われてしまう。調子は良くないんだ。

俺が直面している悩みを本が解消してくれることを望んでいる。でもそういうことは起きない。起きないけど、何か別のところをほぐしてくれているような気がしないでもない。本は無駄。長いしつまらん。でもオーバーウォッチは俺を救わない。本のほうがまだ可能性がある。夫のちんぽが入らないも、俺の悩みとは違ったけど、少し救われるところがあった。本は希望。漫画の名作は踏み荒らした。ゲームは救わない。ブレイキングバッドも中身がない。映画は好みじゃない。本はまだ深雪。本は希望。本はつまらない。いやそれよりも女。女を作る。一人暮らしの女を探してそこで料理を練習して仕事に役立てる。そういう目的で彼女を作るのはまた間違いのもと。すべて無駄に帰す。でも仕方ない。全部無駄ブログもゲームも本も仕事も女も無駄なら比較的無駄じゃないことを探すしかないでしょ?たぶん外に立つ世界と俺の世界の連絡がついてないんだよな。星を上手に見るってどういうことだろう。せせらぎやセミ時雨で良いなら電車から見る田んぼやイオンの看板でもいいんだろうか。水の味がわかり、人を怒らせることが少なくなるならいいな。木曜日会社の事務の女性を怒らせてしまった。あんまり思い出したくはない。呼応と調和。スティルライフからなにかを学べたのかわからない。でも俺の余裕のなさはきっと、何かとの調和がとれていないことが原因だろう。平穏を心にとゼニヤッタが言う。調和のオーブをつけてもらわないといけない。

スティル・ライフ (中公文庫)

だらだら

「ものぐさ精神分析」の自己嫌悪の効用の章を読んだ。

p.324

「自分のある面を嫌悪するのは、はるかにもっと嫌悪すべき別の面を隠すためである。(中略)さらに彼は、廃品回収業としても失格であるくせに他の廃品回収業を軽蔑し、自分が彼らより一段高級な人間であるかのような錯覚を持つ。その錯覚を支えているのが自嘲ないし自己嫌悪である。」

いつか、おっぱいもませてくれと言った後に帰られてしまったこととかそこらへんも思い出すがそれはさておき、そう、営業でいることを自嘲しているのは実はまわりの営業をばかにしていることに繋がっていたんだと気付かされた。(というより気付いていたことに言葉が与えられて明確になった)

英語の勉強やエクセル、アクセスの勉強は逃避。営業やってるなら営業の勉強しろやということで「質問方営業最強フレーズ50」を買った。社内のコミュニケーション円滑化のために「内向型人間が声を話し方でソンしない本」を買った。

今こうやって、適当に買った本たちが繋がって、こりゃがんばってやろうかなという気持ちになっているが、ほどほどに。またダンスしない自分に戻ったときに自己嫌悪かますだけ。だらだらゲームはする。だらだら妄想はする。でも人間関係にだらだらしない。自分のことをする。

今日は会社の年始の集まりだった。顔が死ぬほど痒くて掻いたら次の日顔真っ赤になる地獄体験してみろこれで生きてる俺のほうが偉いだろゴミが死ね死ね死ねという気持ちで会社を出て本屋に寄って「スティルライフ」と「ものぐさ精神分析」を買った。最近の俺は自己嫌悪は弱いと思うんだよな。ゴミのような行為をしている自分が本来の自分だっていう感覚が前より強い。

 

追記

ブログ読み返して本のタイトルタイプミスに気付いたが直さない。やったほうがいいことはしない。忘れないように。ほんとこの、生活で気をつけたいことをブログにメモしても読み返したときは色失って何も意識しない自分に戻ってるんだよな。でもまぁぐるぐる回転しながら宇宙単位では進んでいく太陽系の中の地球の感覚でいこうよ三歩進んで二歩下がるの感覚で、でも時間の流れの老いも計算に入れると一歩進んで二歩下がるになってるかもしれんけどそれが人生でしょ?!いやマジで。文章どんどん適当になってるしどうどうどうでもいいんだけどアーほんとに、こういう文章書いてるときってだめだめな自分実は好き感マジMAXだな俺。人間失格で逆上がりわざとミスったのバレたのを恥じてるくせに女ぼろかすにしてるのは特になんも感じてない葉蔵的に

ものぐさ精神分析 (中公文庫)

ダンス

今週のお題「2017年にやりたいこと」

死にたい。踊ることもだるい。

ダンダンダンス上p.182

「そう、それだよ。傾向。おいらは思うんだよ。もう一度人生をやりなおしても、あんたはきっとまた同じことをするだろうってね。それが傾向っていうもんだよ。そしてその傾向というものは、ある地点を越えると、もうもとには戻れなくなっちまうんだ。手遅れなんだ。そういうのはおいらにも何ともしてあげられない。おいらにできることはここの番をすること、いろんなものを繋げることだけだよ。それ以上のことは何もできない」

「どうすればいいんだろう、僕は?」と僕は前と同じ質問をもう一度してみた。

「さっきも言ったように、おいらも出来るだけのことはするよ。あんたが上手く繋がれるように、やってみる」と羊男は言った。「でもそれだけじゃ足りない。あんたも出来るだけのことをやらなくちゃいけない。じっと座って物を考えているだけじゃ駄目なんだ。そんなことをしたって何処にもいけないんだ。わかるかい?」

「わかるよ」と僕は言った。「それで僕はいったいどうすればいいんだろう?」

「踊るんだよ」羊男は言った。「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言ってることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考え出したら足が停まる。一度足が停まったら、もうおいらには何ともしてあげられなくなってしまう。」

 

このあとも羊男の説教は続く。固まってしまったものをほぐせと、きちんとステップを踏んで踊り続けろと。そのあと主人公は「さて」と言う。さてのあとが続かない。俺も続かない。さてさてさてさてさてさて

カオルがログインしたからオーバーウォッチをやる。意味なんてないし考えるのも無駄だけどそれで踊りもしないでゲームをやってそんで会社に行くとうまくやれなくて落ち込んでしまうんだな、その穴を埋めるのは可愛い女でしかない。一度足停まってしまうと羊男でもなんにもしてあげられなくなるんだってさ。固まったものが多すぎる。ほぐしていくのはだるい。どんどん固まる。

つまんね、なにしててもつまんね。ブログ書くのもスノボもオーバーウォッチも全部つまんね。

顔にアトピーが出てきて赤くなってるから死にたい。彼女がいないから死にたい。仕事がうまくいかないから死にたい。実は超シンプル。わかってる。

2017年の目標。くそみたいに過ごしちゃうのはわかってる。俺の傾向だから。その傾向はもう仕方ないあきらめる。その中で救われる。

 

追記

だらだらしないで自分のことをやるっていっても、その自分のことってのが目標だもんな。その目標は考えてなかった。とりあえず今はまともに声出せるようになりたいな。

ゲームの時間、漫画の時間は削れない。やったほうがいいことをやらない勇気。運極を一体作っておいたほうがいいかな、とかアクセスできたほうがいいかな、とかをやめる。

オーバーウォッチ

今年最後にブログを書く。今は深夜五時。さっきまでカオルと藤野とパーティを組んでオーバーウォッチをしていた。俺はザリアを、藤野はロードホッグを、カオルはメイやファラを使っていた。ゲームは無駄。でもゲーム以外の行為も意味があると思えない。2017年はだらだらしないようにしたいと考えている。仕事や人間関係にだらだらしない。悪化した関係は放っておく。くだらないと思った仕事はやめる。自分のことをする。でもその自分のことっていうのがオーバーウォッチじゃだめなんだよな。俺が救われる道は、仕事ができるようになること。可愛い女の子に承認されること。

三週間前にオーバーウォッチを買ったのは彼女と別れたから。俺の光る爪を見る。ここまで書いて手が止まったので爪を見ていた。NYと出会ったばかりのころのことをブログに書いている。それを読み返す気はない。はじめから罪悪感を持っていたな。女と付き合ってまともな人間に近づいているこの時期にまた女と知り合わないと。対女能力はザリアのバリアのように溜めても少しずつ下がっていく。また街コンにいけるなと思った。カオルには、○○は彼女に対しての罪悪感より、自分はなんてだめなんだっていうので落ち込んでるだけでしょと言われた。まあそうなんだけどさ、彼女に対して悪いとも思っているよ。俺がどう思っているかとか関係ないよな。この、自問自答モードになること、センチな気分深追いモードのダシに彼女を使うのもなんだかなと思ってオーバーウォッチを買ってそれだけをやって何も考えないようにしてた。彼女と別れてから仕事も全然うまくいってないのよね。

仕事の承認と女の承認があれば、たぶんあとはどうでもいいな。自分がなくなってもいい。ダメな自分が好きな自分とか、漫画が好きな自分がなくなっても、こういうブログを書く自分がなくなってもいい。ブログを書くといつも気持ちが落ちる。

 

オーバーウォッチ オリジンズ・エディション - PS4

 

 

「五年生」木尾士目

漫画

なんでブログ消えてんだよクソが。もう書く気にならねえ

新井英樹は現実を汚く描いてデフォルメをしていて濃くて美味い。

木尾士目は現実を綺麗に描いてデフォルメをしないから辛くて美味い。

君の名はは現実を綺麗に描いてデフォルメもするから甘すぎる。

そういうことを書いた

エロスサイコウ展

山田玲司のヤングサンデー

新潟から浦和、柏と小売店を周り、神保町にて少しだけ買ってくれてる大企業に夕方。挨拶にいって初めて会う担当と話が盛り上がったところで追加で二人偉そうな人が来る。名刺を受け取るタイミングがぐちゃぐちゃでテンパる。特になにしに来た訳でもなく挨拶に来ただけですと言ったら正直過ぎだよと笑われた。失笑が含まれた笑いで、これはしくったなと思った。また来てくれと言われて嬉しかった。初対面の挨拶や、帰り方の作法の失敗は腐る程している。改善方法がわからない。この手の、俺の挙動の不自然さによる失敗はもう諦めている。許容範囲。聞かれたことについて最低限喋れたのでもう良しとする。

秋葉原山田玲司ヤングサンデー主催エロスサイコウ展に行く。入り口、山田玲司がいた。おっくんもいた。こんなことってあるかい。ここ一年で一番見た番組、というか一番見たコンテンツ。俺にとってさんまや有吉よりも馴染み深い山田玲司と奥野望が普通に入り口で喋ってた。狭い入り口なので、入って目があって、ファミリー?と聞かれた。はい、やばいです。いきなり二人ともいるなんてまじでやばいです。一年前に相談したことがきっかけで彼女できましたと報告した。ずっと見ている二人なので俺としては親近感ばりばりだったが二人からすれば初対面の人間なので、テンションは低かった。番組でテンションの高い二人を見ている分そこが辛かった。一通り喋ったあとに、軽く流されてしまった気がして悲しかった。美術展なので展示されてる作品を見るべきだけど、まさかの本人たちを目の前にして適当に絵を見ることに集中できず、かといって話しかけすぎることもできず、ふわふわして過ごした。写真を撮れたことが嬉しい。最後にもう一度おっくんが話しかけてきてくれたのに、俺はささっと帰ってしまった。コミュ障特有の帰り方の作法の不自然さにまた胸が痛む。しかし想定内。

このコミュ障感を反省する間も無くhgkと会う。予定よりかなり遅れてしまっていた。syrup15gさんに連絡したが免許合宿とのことで、hgkに連絡した。学科で一番仲良くしていたからこそ、会ってなにを話せばいいかわからなくて5年間会わずにいた。大企業の偉いさんや、山田玲司奥野望にコミュ障爆発させたあとのhgkは心地良かった。三年ニートした後にコネで大企業に入ったクソ野郎。新小岩でつけ麺を食った。あ、思い出した。お前体温感覚おかしいもんな。と言われたタイミングで大学時代に戻った。話す話題がなくなるのが怖かった。それでもまだ一緒に話したくてすき家でビールを飲んだ。今木場のカプセルホテル。外国人だらけ。エレベーターでハイと言われ喫煙所でハイと言われ、全く笑顔で返せずコミュ障感を取り戻して貸切の風呂へ。

本当に、今しかないのだというチャンスで、話したいことを話せず去る人生だ。俺はビフォアサンライズの電車内でセリーヌには絶対話しかけられない。閑散とした狭い展示場でおっくんを目の前にして、必要以上に遠慮してそそくさと下手な挙動で帰る。超人を目指して飛ぶ一本の矢、憧れの熱意に対して観客でしかない。プレイヤーを目の前にして試合をするということから必ず逃げる。女だけでなくなにに対しても。憧れの熱意には焼かれてしまう。覇王色の覇気にやられる雑魚。雑魚だが俺にだって地獄はある。俺の中の俺は頑張っている。俺の中の俺の物語は面白い。俺の中の俺の面白さを、できれば外に発表できる力が欲しかった。創作ができる人は面白い人間ってのは間違いで、ほんとはみんな面白い人間で、創作ができるのはその面白さを外に出せる人、だったりするのかな。違うか。どうでもいい。セミダブルとは思えない狭さのカプセルの中で、もう一時間もブログを書いている