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BUTTER!!!を読んでも

意外と”死にたい”がそばにいることに気付いた。昨日窓を開けて煙草を吸ってるときだったかに気付いた。

何もできない連休を過ごすのは何度目か。英語をやらなくてはという気持ちで遊びに行くこともできない。そのくせ動画ばかり見ている。

死にたいってのはズーンっていう絶望とかツライっていう苦痛とかの先のイメージだったけど、昨日のは、ぼやーっと考えてたら死ぬのが選択肢にあるのにふわっと気付いたみたいな感じで新しかった。

今はそうでもない。死んだあとの家族のこととか、未来の楽しいへの希望とか、冷静に考えると死ぬのはないなって思うけどふとしたチャンスがあったら死にそうな感じがあった。

重松清の「疾走」で神父が死ぬのはその人のせいじゃなくて偶然だとか、「ノルウェイの森」で直子が死をたまたま井戸に落ちちゃうことに例えたりとかしてて、確かにそんな感じなんかなとわかったような気がしなくもない。

文章とか漫画とか音楽とか、表現してお金貰ってる人は、表現してお金貰う側の人だから本当の意味での共感は難しいんじゃないか。麻薬コンテンツならまだしも覚醒コンテンツはより難しい。

BUTTER!!!を読み返した。最高だよな最高だよなウンウンと言いながら、麻薬コンテンツとしてしか楽しんでないと気付いた。バターになっちゃうような体験、あの世界の開ける感覚、それはもう来ない。もう来ないとわかってて追体験するしかない。

一瞬で世界が変わって、人が変わったように何かに取り組む、ことはもうない、ということを認めて、このペースでやっていくしかない、みたいだ。死なないなら。

ほっとくとどんどん後ろにひっぱられるけど、たまにちょっと前進して、また後ろにひっぱられて、っていう、そういうペース。諸々無視すれば総合してプラスなんだけど、どんどん老いていくこととまわりが進んでいくことも計算に入れるとマイナス。

総合してマイナスのこのペースでいくと、やはり死んだほうがいいのでは、みたいな感じでスッと選択肢に出てくる。実際には死なないはずだけど、スッと選択肢に出てくることがよくない。顔が死んでくる。

 

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人でも漫画でも誰か連れて行ってくれ、開いてくれと他力本願なのは気付いてる。だから世界が開ける瞬間を描くシーンが好きなんだ。

このまーま どこかとおーく つれてーって くれないーかと歌う二宮さんが高岡に救われるのもそのひとつ。

 

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こんなにも受け止めてくれる人がいるのはうらやましい。良い作品は呪いになる。BUTTER!!!を読んでも救われない。