とにかく仕事をやめたい。仕事をやめたいというか生きるのをやめたい。生きるのをやめたいというか、楽に生きたい。楽に生きる以外のことはしたくない。例えば働くとか、例えば楽じゃなく生きるとか、そういうことはしたくない。飛田新地で毎日遊ぶだけの人生を送れないだろうか、いや、送れないのはわかっている。現実的な方法はない。じゃあ、それなら、ああ、生きている意味ってなんなんじゃ…俺は…普通に静かに暮らしたいだけなんだ。俺が吉良吉影だとして、静かに生きるのを正義面して邪魔してくるやつらがいたらマジで躊躇なく殺すだろうな。殺人という趣味以上の、人生にとって間違いなく必要な行為を、悪だと言って裁きにかかるイケメン高校生とイケメンおじさんと売れてる漫画家と女にモテはじめたちび高校生と元イケメンのおじいさんがいたら間違いなく全員殺すだろうな。川尻早人には悪いと思うかも知れない。でもまあ全員殺すよな。吉良吉影は自分のやりたいことを求めて、結果的には救急車に轢かれて死んでしまったけども、それでもベストは尽くしていたよな。ああ、俺は…自分の人生を全然やりたくない。自分の人生をやりたくないというか、誰がそんな、いろいろしっちゃかめっちゃかになったところからゲームをしたいんだ?これはなんと例えたらいいのだろう。ぐちゃぐちゃなんだから、普通に最初からやりたいよ。普通に最初からやらせてくれないのはなんでだ?この世が仮想現実ではないからだよ。俺以外の人も本当にちゃんと生きているから、俺の都合だけでこの世界を変えられないんだよね。それが濃厚。わかっている。クソ。人生に絶望していた二十歳の頃に戻って、もう一度やり直して、そして三十歳になってからまた二十歳に戻りたい。ループしたい。なんなら、今から5年生きたあとに三十五歳から三十歳に戻ってまた5年生きて三十歳に戻りたい。つまり俺はそう、先の人生を気にせずに退廃的に生きたいのだ。退廃というのはほんとうに良い語感。退廃。退廃的に生きてえ。退廃的ってなんですか?定義は知らないけど俺としては、なーーーーんも、気にせず、快楽だけを求めて、世間の目を気にせず、社会人とは違う時間で生きて、毎日、ストレスなく、生きる。そういうこと。それがしたい。これでもだいぶ譲歩してるんだけどな。本当はもう妄想の世界のようにセックスをしたり地球の過去や未来など一通り観察したり、そういうことがしたいんだけど、そんなことは無理だとわかっているからせめて、未来を気にせず生きさせてくれ。あ、あああああああああああああああああああああああああ。ただ日々に苦しむだけなら、何を、、、、、娘が可愛い。それが生きがいになる。なるが、生きがいというか、人質ではないのか、娘がいるのだから、俺はまともに生きねばという…ああ本当に正しいルートに乗っかっているやつら、許せねえ。俺も家族を持って、そういう、正しいルート、適齢の時期に普通に嫁がいて娘がいて、正社員で働くという、そういうステータスになっちまった。しかし、クソくらえという気持ちだ。家族は大切だけど、家族がいて正社員であるというステータスなどしょうもない。仕事にやりがいを感じているやつらがムカつく。人生において努力が正しく効いているやつらがムカつく。大きなハンデを背負わずに生きているやつらがムカつく。そのあたりのハンデ無しに、ハンデの存在を忘れて、ぼやーっと黒人の貧困や知的障害者をハンデと想像しているんじゃないか。同じ日本人なら同じスタートラインだと思っているのではないか。いや、そんな、本当は不平等みたいな話がしたいんじゃない。ただ俺は静かに暮らしたいだけ。現実でもネットでも、誰かの怒りなんて見たくない。静かに暮らしたい。静かに暮らすためなら、腕がひとつ、または足がひとつなくなってもいい。それで働かなく済むならそれでいい。みんなはどうなんだろう。障害年金で生きていくというのはめちゃめちゃ魅力的に見える。障害年金がもらえる人はいいよな。補助がもらえない程度の半端な欠陥をたくさん抱えた人は可哀想だよな。俺は今日にでも仕事をやめたい。しかし、求人を見ながら、応募をちまちましたりしながら一応は続けている。俺がやるべき仕事は誰でもできる警備員のような仕事なのか。考えない仕事はしたくないと思っていたけど、今は考える仕事はしたくない。ある程度の決まった中でやる仕事でないとできない気がする。自由に主体的にやることは楽しい。けど、そもそも仕事はモチベーションがないので、主体的になどできない。やらされ感がどうしても出てくる。今やっている仕事ではそういうのは許されない。やらされ感、ああ、どの仕事でもそうなのか?そうなのかもしれない。ただ、ここではないどこかを目指させてくれ。もう詰んでいる?詰んでいるという言葉が大学生のとき流行った。俺の人生は詰んでいると思っていた。しかし詰んではいなかった。やりようはいくらでもあった。今も詰んでいるようで詰んでいないはずなんだ。三十歳。詰んでいないことが頑張るモチベーションになるわけではない。ただ、詰んでいないなら、まだ他の逃げ場があるのではないかと、探す価値はあるはずなんだ。というか、家族を養うために、探さないといけないのだ。ちょうどよい逃げ場を。嗚呼ああああああああああ殺してええ。うまくいきているやつ殺してえ。いやほんとに、凶悪殺人に至ってしまうやつらの気持ちがよくわかる。殺人どころか自殺にすら、線を跨いでしまった経験は俺にはないので、よくわかるというのは言い過ぎなんだけど、理不尽さと、理不尽さを理解してくれないこの世界に仕返しがしたいという気持ちはよくわかる。その殺される人たちも自分と同じ被害者なんだと理解して思いとどまることが正しいのはもちろんなんだけど、お思いとどまったところで誰も褒めてくれないしな。ただ、娘がそれで殺されたら、と思うと、なんともいえないんだよな。クジラックスの漫画を読んだときも同じことを思った。その性癖を持って生まれて、社会からはじかれて、その行為に及んでしまうのは仕方ないよな、と思いつつ、いや違うな、そんな菩薩みたいな気持ちでは読んでいない。普通に勃起している自分がいて、共感しつつ、娘がこんなことをされたら、どこまでバラバラにしても気がすまないほどの怒りで犯人を殺すだろうなと、父親視点で思う。殺人を行う人もその被害者も悪いとは思えず、ただ無関心で想像力のない人が嫌なだけだと思いつつもそういうひとたちにも矜持や悲しみがあって、いやいやそんな、本当は誰も悪くないなんていう結論を得た所で何にもならない。俺はただ何もしたくないだけ。仕事をずーっとさぼっている。仕事に戻らなければいけない。戻らなければいけないってなんだ????なんでmustが出てくるのだ、違うなこの場合はhave toか。have toが嫌なんだ。戻らなければいけないってなんだよ。涙が出てくる。人生をリタイアしたい。