中1の頃好きだった子に会った

中1の頃好きだった子に会った。向こうもアラサーのはずなのに、めちゃくちゃに可愛かった。俺は嫁の付き添いで大学病院のタリーズに来ていた。窓際でリモートワークをしていた。病院を出入りする人たちが窓ごしから見える。あれは、あの子だ。Aだ。かわいい。多分間違いなくAだ。中学卒業以来、同窓会でちらと見かけただけだが、わかる。Aだ。Aは同い年くらいのブスめの女と、子供ふたりの4人で俺のいるタリーズに近づいてきた。話しかけるべきか否か、話しかけるとすれば何を話すか逡巡した。5分ほど経ってから意を決して話しかけた。

すみません、A…さん?はい…?あ、俺中1の頃隣の席だったあの…あ~~顔変わった??笑 ああ、うん。あ、確認したかっただけだから…お子さんいるの?ああこれは甥っ子。ああそうなんだ。。沈黙。今日どうしたの?ああ奥さんが…あそうなんだー。うん、じゃあね。逃げるように立ち去った。うしろではすごーいと聞こえた。

ああ甥っ子なんだ。かわいいねとか、そうなんだ。結婚してないの?とかまだ地元にいるの?とか、いろいろ聞けたことはあった。しかし聞くことが出来なかった。話が盛り上がらなかったという以上に、そもそも俺はお話をしなかった。自分から話しかけたにも関わらず、いつもどおりの相手まかせのコミュニケーションに即移行した。俺はコミュニケーションが苦手、なのだけど、それだけではなくて、コミュニケーションを怖がっている。そこが問題。社会人になってある程度仕事も慣れてきて、プライベートも悪くない今の状況においてもここまでしどろもどろになってしまうのだから、俺の会話下手の根底にあるのは自信のなさではないのかもしれない。

「俺は根暗でいい。人とのコミュニケーションなど無駄。自分のやりたいことをやる。人間関係に悩まされない生活は快適。」このスタンスを否定する人や言説を見たときも、死ねボケと思って相手にもしなかった。しかし、この、今回のような、瞬間的な会話がまるでできないことはやはり問題だ。何か言わなきゃという気持ちと、怖いから会話を終わらせなきゃという気持ちに支配されて、瞬間的にフレーズがでてこない。うまく会話ができる、口がうまいやつになりたいわけじゃない。ただ、最低限会話を楽しむための能力は身につけたい。
自分のキャラクターに甘んじて、口下手であること、集団やコミュニケーションから逃げることを自分に許している。こういう自分を許すこと自体は間違っていないと思うが、もう少し、マシにするための、つまり、会話をすぐやめないである程度の沈黙を許容する度胸を身につけたり、会話をすぐやめる癖をやめたり、最低限のコミュニケーションで済むところでも人対人であるという意識を持ったり、そういう、マシにするための、並の人間に溶け込むための動きは必要かなと思った。

しかし、上記の反省よりも強く頭を支配したのは、可愛い、ということ。やはり嫁よりも圧倒的に、可愛い。それも、美人というのではなく、宮崎あおい方向の可愛さ。一瞬でいいから愛し合いたかった。そうすれば満足があった。RPGで取りそこねた宝箱のように、宝箱の中に何が入っていたか確認だけしたい。現状に不満があるわけじゃない。ただ、そこを通ってからここに来たかった。もう二度と体験できないあの、毎日好きな子と隣の席に座っておしゃべりできたあの頃をもう一度、やり直せたなら、とやはりいつもどおり思ってしまう。

一度でも可愛さを手にしたこともある人間とそうでない人間には差が出る。奥田民生になりたいボーイは狂わせるガールを一度つかんでいる。それがない人間は、それを一生追い求めてしまう。童貞はセックスを一生追い求めてしまう。追い求める価値がないということを実感したい。それが大事なんだ。

しかししかし、今回の一連の出来事によって生まれた感情が、愛し合いたかったとか、なんて俺はだめなんだとか、負の感情だけでなく、未来に向けた前向きな反省が含まれていたことは俺の成長だと思いたい。