橘曙覧の独楽吟

吸いたくもない煙草を吸って、肺にガスが溜まって、げっぷがでなくて苦しい。

楽しいことをパソコンの中へ、ゲームの中へ、映画の中へ探しに行って、体に入れて、そんなに気持ちよくなくてっていうのが、肺にガスが溜まる感覚と似てる。ガスが溜まるだけで、きもちよくない。

橘曙覧の独楽吟

たのしみは妻子むつまじくうちつどひ頭ならべて物をくふ時

たのしみは空暖かにうち晴し春秋の日に出でありく時

たのしみは心にうかぶはかなごと思ひつづけて煙草すふとき

遠くの、誰かが作った映画とか、昔の自分が作った映画とかじゃなくて、目の前の景色とか人とか、近くの、今のほうでたのしみを見つけていけたら良い。ちょっとだけ意識して目の前のほう寄りに。休みの日に、たのしいこと、救いを探しにっていうときに、画面の中を探したり、物語の中を探してばっかりだから。

外で会った人に、店員に、自然に笑顔を向けられる人になれたら、きっと楽しいだろう。新しい服を買ったら、外に出るのが楽しくなった、とか書いてて恥ずかしくなるようなことを、もう散々書いてるのでこのままでいこう。外が楽しくなるような工夫をしよう。今までバカにしてきたそういうものを今までより少し大事にしていきたい。

ポエムポエムポエム感が止まらねえ。直せば直すほどポエる。この文章自体が肺のガスみてえに不快。自分自身の綺麗さ明るさへの抵抗。それを捨てたい。痛い痛い痛いよお前と言ってくる自分を抑えて