二人のあいだで語られるべき大事なこと

一昨日、同い年のいとこが来た。10分以上まともに話すのは、10年ぶりくらいか。俺の部屋で煙草を吸いながら一時間ほど話した。仕事のこととかいとこの結婚のこととか、中学の同級生の話なんかをした。一時間話は尽きなかった。それでも、10年話さずにやっと溜まった一時間分の会話という感じだった。似たような内容が「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」にあったと思って本棚から引っぱり出した。

p.177

「アオと会うことはもう二度とないかもしれないと、交差点の信号が変わるのを待ちながらつくるは考えた。三十分という時間は、十六年ぶりに再会する二人の旧友にとって確かに短いものだったかもしれない。そこで語られなかったことは数多くあったはずだ。しかしそれと同時につくるには、二人のあいだで語られるべき大事なことはそれ以上ほとんど残っていないようにも感じられた。」

これからも会うはずのいとこに対して勝手にこんなことを考えてセンチになるのは勝手すぎて自己完結的過ぎてダメなような気もするけど、

 

今日は15時頃から20時頃までエーテツとドライブをしてた。弥彦のほうへ行って何もせず帰ってきてみたり、卓球をしてみたり、好きな音楽を勧めてみたり。多崎つくるのいう”二人のあいだで語られるべき大事なこと”がある。大事ではないかもしれないけどどうでもいい話が続く。社会に対する抵抗の度合いが近いからなのかもしれないと話した。

以前勧めたスパルタローカルズは好きじゃなかったみたいだけどTOMOVSKYの骨は気に入っていた。家付近に着いてしまってからも県道を一往復して、toddleのeraserやJames IhaとNina GordonのSaid Sadlyを聞いて帰った。こんなんでいいんだよなあ、こんなんずっと聞いてたいわと言っていた。


toddle【eraser】 2009/12/26 渋谷O-nest - YouTube


Said Sadly - James Iha Nina Gordon - YouTube

 

明日WYちゃんと水族館に行くことになった。思った通り、自我を消すという言葉だけが残って感覚を忘れてしまった。今日のLINEは完全に”俺”だった。”俺”じゃないやつに任せていた前回のLINEとは違う。明日も”俺”でいくことになる。クオーテーションマークなんか使って何が”俺”だって感じなんだけどもまあどうでも