ラブ&ポップ 書評

目的もなく図書館へ行って、ラブ&ポップを読んできた。

普遍的なテーマとか、なぜ女子高生は売春をするのか?という問いに対する答えとか、そんなことはどうでも良い。amazonのレビューはそんなのばっかりだった。

気持ち悪かったり、疲れてしまったり、さみしかったりする男との一度きりの出会いの描かれ方が良い。スカイプちゃんねるの悲しさを連想させる。

生理的嫌悪感とか肉体的な痛みを感じながらも、ヒロミは見捨てないで許している。聖母のように包むように許すわけじゃなく、ひっそりと許す。

キャプテンEOのようなイケメンに惹かれ、ウエハラのようなキモ男には嫌悪感を感じてしまう。嫌悪感を感じながらも、見捨てない。可哀想に思って、気まぐれでやさしくする。未熟なやさしさなんだけどその未熟なやさしさにゴミのような男が救われている。そのゴミのような男たちが、(ヒロミと違って成熟したやさしさをもっているべき年齢なのに)未熟な優しさで返す。

作品全体のテーマを読み取るのは苦手だ。文章だけだったり、あるシーンが好きだったりする。

それでもラブ&ポップの、インペリアルトパーズを手に入れるという目的に対するラストのオチは、あの全体のまとめ方はほんとによかった。語彙がねぇ困る。昂揚よりはもっとテンションの落ち着いた、胸の締め付けられるようないいページだった。最後のページは良かった。フラニーとゾーイとか、西の魔女がしんだみたいな良い最終2ページだった。

不器用な人間同士のコミュニケーションのシーンが好きだ。グラントリノとか、ネブラスカとか。

村上龍の小説は賞味期限が短いと言われるけど、固有名詞が古いだけで問題なくウマい。ださい個人とださい個人の一度きりの出会い。物語だと、綺麗になりすぎることが多い。ちゃんとださいのが良い。

 

文章の練習のため模写

P.49

去年の夏、『アンネの日記』のドキュメンタリーをNHKの衛星放送で見て、怖くて、でも感動して、泣いた。次の日の午前中、バイトのためJJを見ていたら、心がすでにツルンとしているのに自分で気付いた。『アンネの日記』のドキュメンタリーを見終わって、ベッドに入るまでは、いつかオランダに行ってみようとか、だから女の子の生理のことを昔の人はアンネというのか、とか、自由に外を歩けるって本当は大変なことなんだ、とかいろいろ考えて心がぐしゃぐしゃになった。それが翌日には完全に平穏になって、シャンプーできれいに洗い流したみたいに、心がツルンとして、「あの時は何かおかしかったんだ」と自分の中で、「何かが、済んだ」ような感じになってしまっているのが、不思議で、イヤだった。今日中に買わないと、明日には必ず、驚きや感動を忘れてしまう。きのうはわたし、ちょっと異常だったな、で済まして、買ったばかりの水着を実際につけて脱毛の範囲を確認したりしている自分がはっきりと想像できた。インペリアルトパーズは十二万八千円だ。

 

ラブ&ポップ―トパーズ〈2〉

ラブ&ポップ―トパーズ〈2〉