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本当は俺もテニスボーイ的退廃が欲しい

右半身が筋肉痛。原因はドライブにある。半年ぶりに卓球をした。

ドライブをドライブと意識すると失敗する。普通のラリーの延長線上に考えないと。

今回はかなり綺麗にドライブができた。調子のいいとき、なんで調子がいいのかわからない。

今回はつまさきを意識的に動かすとうまくいった。次回以降も同じようにそこを意識して綺麗にドライブができるとは限らない。

高校の時は、調子のいいときを自分の本来を力だとみなして、思い通りに動けない普段の自分に常にイラついていた。下手くそなのが自分だと認めるだけの力がなかった。

筋肉痛は快感だったと思い出した。さっきは腹筋をした。

友がみな われより偉く 見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻とたしなむ という短歌、妻いるんだったらいいじゃねえかよ。

いくつかの短歌を、いつでも言えるように暗記した。マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし 見捨つるほどの 祖国はありや とか、 くれないの 二尺のびたる ばらの芽の 針やわらかに 春雨の降る とか。

柔肌の、熱く血潮に触れも見で、なんとかかんとか道を説く君が一番個人的に好きだけど一部忘れてしまっている。そうださびしからずや。生徒教師モノ、年下攻めモノとして完璧なシチュエーションだ。与謝野晶子がブスでなければ。でも作品は作者を離れていいだろう。与謝野晶子がブスだったり村上春樹がブサイクだったりすることで作品が白けて見えるのは良いことじゃない。

筋トレをしたり、短歌を覚えたりするのは、俺が社会人よりニートに近い証明のようだ。

この労働時間の短さ、そして給料の安さ。一般の25歳の3分の1程度の労働に、4分の1程度の給料。

まったり薄給をdesireしていたとはいえこれは、生活がやはり苦しい。自動車税34500円が俺を殺しに来る。かと思ったがこれは納税証明書だった。そうだすでに払っていたんだ。よかった。

GWに友人と沖縄料理屋に行った。俺は車だったのでコーラを飲んでいた。帰りにのどごしのロングを二本を買って、すかいぷちゃんねるをしていた。楽しくはなかったけど、このみじめな感じが何か救いになっているような感覚があって、悪い気分じゃなかった。そういう負の行為のほうが安心する。妄想の設定で年下優位のセックスとか、見られるオナニーとか、寝取られが好きなのもそういうことだろう。

この間村上龍の半島を出よの退廃の発見を一部読み返したときの一節がその感じにぴったり、ではないけどカッコイイので引用する。

「人は危険を察しながら退廃に惹きつけられる。退廃は罪悪感をその中に含んでいる。退廃の後は恐らく幻滅や倦怠が襲う。退廃は消費されるだけで何も生まない。だから退廃はアリラン祭には決して存在しない。」

タイピングしてて幻滅や倦怠ってのはしっくりくるなと思った。オナニーだけでなく、すかちゃんのような退廃的行為のあとの倦怠は体にねばりついてくるみたいで気持ち悪い。自分に対して幻滅する。

柔肌の熱き血潮的精神の年下の子が俺の退廃を見て幻滅しながらも俺を見捨てないでいてくれたりしたらそれは岬ちゃん以上の天使になりそうだ。俺を見捨てないということ天使性ももちろん素晴らしいけどその幻滅をしているその子とその対象である俺の絵面もまた素晴らしい。

でもここで村上龍のいってる退廃は快楽と同じ退廃で、シャンペンだけが人生だと思う?的な、テニスボーイ的な退廃だから、俺の求める退廃、ただ一人で落ちていくだけの退廃とは違う。本当は俺もテニスボーイ的退廃が欲しい。

友人と会ったあとのすかちゃんwith二本ののどごしは俺の現実的に手の届くほうの退廃で、啄木風にまとめるなら

友がみな われより偉く 見ゆる日よ 酒を買ひ来て ひとりたしなむ

となる。