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じいちゃんの自分史

久々にばあちゃんと長く話した。40年前にうちの土地を1000万で買ったとか、貧乏な時代の話とか、じいちゃんの話とか。

あの子は夢見る少女みたいなもんだね×5とか○○さんは○○大学の創始者みたいなもんだったんだね×10とか同じフレーズ連呼してるのでボケはじめてるなと思った。

GWにじいちゃんの自分史を読もう。はじめの数ページだけ読んで放置してた。

 

自分史の始めに

自分史、等と呼べるかどうか判らないが私が生きてきた印を残して置きたいと思う様に成ったので、ポツポツと書き出して見たが何処から始めたらいいのか判らない、此の歳に成っても鮮明に記憶に残って或る出来事から書いて見たいと思う。

「幸夫、修身の本持っていかねば駄目らろ、忘れんなよ」母が麩を切り乍ら言った、私の家は麩の製造販売が家業であった、前日に焼きあがった筒状に成って居る麩を蒸気で蒸して一センチ程の厚さに包丁で切って行く、これを細い縄に通して二尺位の輪に結び店の天井に吊るして置くと自然に乾燥する、(車麩と言って真ん中に穴が空いている)これを食品店や乾物店等に卸してゆく、店でも直接小売りもする、私の小学校一年生の終業式の日の朝の事であった「いらねて、本なんか持っていかねて」と言う私に、「持って行けてば」と母は怒鳴る、押し問答をして居ると、一緒に登校する町内のガキ大将達上級生が集まって来て、「わア幸夫、優等賞もろんか、本持ってけほら」「ヨオ優等生」と囃子たてた。私は真っ赤な顔に成って逃げる様にして、学校に向かった、上級生たちは追いかけて又も囃子たてた。

優等賞をもらった者は修身の教科書に賞状を挟んで持って帰ることになって居たのである、私自身、もしかしたら母があれだけ言うんだから優等賞が貰えるかな、と少しは思って居た。しかし一組で六人が貰える優等賞の受賞者として私の名前は呼ばれなかった、期待が外れた私は家に帰るなり堰を切ったように泣き出しながら母に食って掛かった、「賞状なんて貰わんねかったわか、本なんか持っていこんだら皆に何言われるかわからねかったねか。」今でも忘れることのできない思い出の一コマである。