統一教会の親がワンコイン詐欺にひっかかった話

ワンコインって結局、どうなったの?まだやってるみたいよ。結局買ったの。うん。いくら?じゅう。十万?うん。ええええ…それ引き下ろせるの?うん二年後ね。みんな買ってるの?買ってるよ。…それ戻ってこないよ。まあ捨てたと思って。買うときは言ってって言ったじゃん。そうだっけ。テレビで面白映像を千鳥がナレーションしている。なにをやっとるんじゃ。おかんなにをやっとるんじゃ。そんなことすな!それ詐欺じゃ!

今年4月、教区の教会長が仮想通貨を勧めてくるという話をお母さんから聞いていた。詳しく聞くとビットコインではなく、別のワンコインという通貨らしい。ワンコインはぐぐっても当時ヒットしなかったため、怪しいと思ったが仮想通貨自体には興味を持ち5月頃に仮想通貨を買った。もっと買っておけばと後悔していたところ、さっき食卓でワンコインの話を思い出しお母さんに聞いてみたらまさかの十万て。面白映像では凄い顔でプレゼントに喜ぶ外人にクセがつよいと千鳥が言っていた。食器を片付けに台所へ行くお母さんと入れ替わりにお父さんがくる。お父さんワンコインの話知ってるの。ああ。どう思ってるの。ワンコイン?うん。詐欺だろ。お父さんは面白映像を見ながら答えた。ナレーションは小峠に変わった。

ゴミでクズな統一教会。騙されるお母さんが悪い、と言えばそのとおり。しかし夕方俺は俺が小さい頃のアルバムを見ていた。俺は笑顔で雪を投げていた。なんて可愛かったんだ俺は。こんな可愛い子、さぞ可愛かっただろうなあお母さん。川辺で俺と二人で両手で丸を作っている。俺もお母さんも笑顔。幸せそう。お母さんを攻めることはできない。教会が悪い。しかし教会ぐるみでやってるのかと思ったら。お父さんによれば今回の教会長は問題児で、こいつが単独でやっているだけらしい。通常教会長は半年から一年程で変わる。この教会長は前の教会で問題を起こして左遷されて田舎のうちの教会に来たらしい。カスを派遣してくるなゴミ教会。こんなことやってるから世間からまともな扱いを受けないんだ。自業自得だろ。幹部を全員殺せ。

まあこの100倍以上統一教会にぶっこんでるんだから今更って感じだけど、春から別のアルトコインにつっこんでれば10万が1000万に膨んだりしてたかもと思うと辛い。通常の家庭じゃなく、教会に搾り取られきったあとの家計からの10万だぞ。

この前彼女に、統一教会は詐欺だ洗脳だ言われ、真実でありながら俺はムッときていた。信じている人には必要な金なんだ。しかし、今回のこれは完全に詐欺。今回に限らずいつも詐欺だが、今回のはもう、献金とかでなくシンプルに詐欺すぎてもどかしい。死んだほうがいい人間が多すぎる。死んだほうがいい人間が多すぎるという考え方はよくない。一人ひとりがある程度の正義を持って生きてる世界のはずなんだ。ほんとうは悪いやつなんて少ない。そう思おう。そう思っても辛い。世界ってなんて悲しいんだ。神の視点で涙が出てきてしまう。これが文鮮明の青年時代の思想だとこの間行かされた修練会で言っておりました。なんでもいい。何が真実だろうとどうでもいいから俺の周りの世界よ明るくなってくれ。

愛は光

13時から公民の集団授業。テスト範囲の国会、内閣、選挙制度について授業した。生徒は六人。俺は一人で喋ってるかのように、下を向きながら解説をしていた。塾バイト期間は長いが集団授業はやったことがなかった。複数の人の前で話すというだけでアガってしまう。そのあとの個別指導でも、自分の成長のなさを感じた。久々に授業したときは生徒の反応の良さや笑顔でやる気になったが、今は自分のポテンシャルのなさや向上心のなさを思い出して落ち込んでしまう。

16時から俺の実家でガクとマジックザギャザリング。封を開けていない12パックを6パックずつ選び、即興デッキを作り対戦するSealedという遊びをした。朝、久々にマジックしようとラインが来て、アモンケットというエキスパンションを12パック買ってきてくれた。ガクは赤黒白デッキ。俺はイフニルの魔神を主力とした黒青サイクリングデッキ。6勝3敗だった。

20時頃からエーテツとスプラトゥーン2でフェス。知り合いからswitchを借りたらしい。エーテツはスプラローラーを使っていた。この間一緒に観たブレードランナー2049の話や、岡田斗司夫のチャンネルの話をしながらナワバリバトルをした。彼女(sa)から連絡がきていたが、友達とゲームしてるから相手できないと伝えたら悲しそうにしていた。

23時半頃からsaに電話をした。saは眠そうにしていた。この土曜日は付き合ってから5ヶ月の日だったので、0時回る前に電話でそのことを話題にするべきだったなと思った。

1時頃フセから連絡があり、2時間ほど電話した。フセの仕事の近況や楽しい裏話を聞いた。俺の彼女のことをいい女だと、このまま進めていくのが良いと、羨ましいと、そんないい人普通出会えないと言ってくれた。自己肯定感がめちゃめちゃ高まる。言ってくれたことを覚えておこうとしたけど、続けてどんどん肯定の言葉が出てくるので覚えきれなかった。真っ直ぐな祝福が嬉しかった。

フセが勧めてくれたNegiccoの愛は光と、光のシュプール、くちびるにメロディなどを聴きながらブログを書いた。

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親との会話

 

仕事を探している。仕事が決まったら一緒に住もうなんて話を彼女としていて、でも彼女がいることを親に言っていなかった。宗教上の問題で結婚は同じ宗教の二世同士でなければいけない。言わなければ言わなければと二ヶ月ほど思っていたところ、さっき初めて言えた。俺が風呂からあがると、洗面所でお母さんが歯を磨いていた。俺はその隣で髪を乾かしていた。教会のイベントに参加してくれと言われた。うーん、そうねえと曖昧に返事していると、何か言いたいことあるの、と言われたので、最近外で遊んでるんだけど…というと、何か察したのか、女の子?と聞いてくれた。そうですと答えた。書くのめんどくせえな

あ、そう、うん、そうね、まあね、と受け止めたあと、

まあ決めた人がいるんならね、と言ってくれた

最後には、あんたのこと好いてくれる人もいるんだねと笑い話にしてくれた。

15分ほど廊下で話していたが涙が出てきたのでまあそういうことでと言って自分の部屋に逃げた。激レアな泣いている自分の顔を見たくて、鏡を見にいってしまったり、そんな行動をしている自分に笑ってしまったりしていた。宗教上の、ずっと親に言いたくても言えなかったことが言えて、受け入れてくれた安心感、によって泣いているというドラマチックな状況を楽しみ、額に入れた自分の姿を眺め少し悦に浸って冷静になって、そしてまた泣いて鏡を見に行った。今はもうただ書き留めておきたいという気持ちくらいしか残ってない。元々は二世同士で結婚してほしかったが、だんだんそうでなくてもいいという気持ちになってきたらしい。本音かどうかはわからない。親に悪いことしたなという気持ちはあるけど、とりあえず絡み合ってごちゃごちゃの問題の一つが、うまくほどけそうなのが嬉しい。

 

沈黙-サイレンス- レビュー

初めて英語で外人と話せるワクワク感無しに皆スムーズに英語話すのcoolすぎる
宗教が生まれ、広まるうちにその本質が消えていく。仏教にしてもキリスト教にしても日本に広まるまでに大きく変わっていく。そもそも神父もその本質を知らない。宗教は基本そういうもの。誰も本質を掴んでないのに形だけがある。アンドリューガーフィールドは最後本質に辿り着く。
色々悩んで間違った選択もした挙句こんな人生になってこんな感じに悟りましたチャンチャン的な話ではアマデウス観たあとのウワーー深イイ話みたいな感動があってgood
急に理解る!の感覚。初めて本質が掴めたというその瞬間、みたいなのがある作品、フラニーとゾーイーラスト、ねじまき鳥の間宮中尉を思い出す。
なんでもいいからすがれるものが必要なだけで、どの宗教でも良いんだろうって冷めた目で見てしまうけど、神いないかもと疑いながらもそれでも信じるという姿勢で信仰しているのを見るとちょっと感動する
こういうエリエリレマサバクタニ問題の他に悪人正機説(キチジロー窪塚のような人こそこそ救われるべきでは?問題)とか、そもそも日本にキリスト教は根付くのか問題とか、布教の善悪問題とか扱ってるテーマがめちゃめちゃ多い。
布教の善悪、良いものだから、正しいものだから人に勧めるのは正しいのか否か。現在の日本でのカルト宗教の布教は悪で、アンドリューガーフィールドの布教は善なのか。仏教とうまくバランスとってた日本に、正しいものとしてキリスト教を持ち込んで不幸が生まれた。良いものが良い結果を生むとは限らない。
ウルフオブウォールストリート>沈黙>>タクシードライバー>>グッドフェローズ

沈黙 -サイレンス-(字幕版)

塾なら俺でもできるというわけではなさそうだ

フセと電話して彼女が可愛いと言われたので嬉しくなった。中出しに慣れてきてしまって、このままではいつか結婚してしまうのでは。というか次ちゃんと生理は来るんだろうかと弱っていたところからの肯定。everything's gonna be alrightの気分になったのでそれを記録しておきたい。ついでにその他思い出せる今日昨日のことを書いていく。

フセと電話する前はるるるさんとスプラトゥーンでサーモンランをしていた。2011年頃Twitterでフォローして、たまにリプライ飛ばすだけの関係が続いている。ネット上の、頻繁に連絡は取らないが長く関係が続いている人、が何人かいることは幸運なことだと思う。もなちゃと、Twitter、すかちゃん、はてな、ニコ生。小6の頃に入り浸ってた個人サイトの、年賀状も交換した人たちとはもう連絡手段がなくなってしまった。

サーモンランの前はアルバイトしている市内の塾で二コマ連続。中3と中2の女の子。エンドウ豆がシワになる割合の問題がまったくわからなかった。今週は土曜日に社会の集団授業をしなくてはいけないのが心配。こんなことを心配する前に、就職をしなくてはいけない。ハロワ経由で正社員募集をしている塾に見学に行ってきたが、全く働ける気がしなかった。塾なら俺でもできる、というわけではなさそうだ。上司がいるという環境だけでもうきついんじゃないだろうか。

昨日はcakesに入会して左ききのエレンを30話まで読み、BUMPのライブで新潟に来た大学の後輩と飲んで、彼女に送ってもらいホテルに泊まった。無職なりに充実している。

水木しげる出征前手帳

深く知らなければ救はれない。広く浅くでは駄目だ。

 

吾を救ふものは道徳か、哲学か、芸術か、基督教か、仏教か、而してまよふた。道徳は死に対して強くなるまでは日月がかかり、哲学は広すぎる。芸術は死に無関心である。而して基督教か仏教かな吾を救と思へり。仏教にせんと思ふ。

 

宗教には情熱があるけれども道徳にはない。だから道徳はいやだ

 

一日中の行為みな怠惰の発動さらざるはないと言い得る程、怠惰は人性を支配している。怠惰、怠惰だらけの俺

 

武良茂は嘘つきの悪人じゃ、馬鹿者だ。こんな事では自殺したつて土が喜ばぬ。生きてゐたつて空気が喜ばぬ。寝てゐては夜が喜ばぬ。死んだとて、死ぬ資格はない。地上がけがれる。幾萬と重なる罪業の負債を、生ある限りをつくして支払うならば死ぬ資格もあらう

 

基督教を信仰するに最も困難なことは神の存在である。そして最も重大なるはこの神なんだそうである。神を理解する程度に基督教を理解するとは真か、そうであるとすれば俺は救はれない。道徳と愛とが自然(カミ)と関係のある事を知らぬ、自然は盲目だと思ふから…

 

裡を満せ。外を富すな。又富んだるが如くすな。ひたすら裡を富ませ。その故に自我は否定されなければならない。如何なる事があつても、ひたすら努めはげめよ。

 

汝は言ふ。過去の怠惰をも背負ふと。可也、果し終たれば幸である、過去の罪業は罪業が罪業を生み、果てしなく無限に広まっている。之を果すは如何にしても人間業の為す所ではない。汝の現在の環境、地位、凡て罪業の然らしむ所である。罪業あつての汝である。罪業は根深くして広い。罪業は根深くして広い。みよ。汝を囲む一切は過去の罪業の蓄積である。怠惰を気づき、克服すべきを知りても人間は依然として怠惰である。「彼等は言ふだけにして行はぬなり」とか至言なり。知りて行はねば無用である。罪業、一にも二にも罪業で形造られし過去の生んだ汝は、罪業の塊である。怠惰、怠惰、怠惰で死に至るのが人間である。怠惰で生きるよりは、死ぬる方が勝っている。怠惰なる生は無意義である以上、死をかけても無為を有意とするのが人間の指名ではないか。怠惰を克服するために死すとも、怠惰と妥協して生き長らへるよりはましである。まし所ではない崇高である。

 

二十歳の水木しげるが憎んだ怠惰を俺はそれほどには憎めない、が、元々怠惰は憎むべきものだと忘れていた。甘さにも限度がある。と思っていたら、ジジイになった水木しげるのキャッチフレーズは「なまけものになりなさい」だったという。怠惰を憎む言葉の数々に打ちのめされたのに、なんじゃそりゃって感じ。成功者として何十年も生きた水木しげるジジイのこの言葉よりも、何者でもないまま死を迎えそうな若者の言葉の方が響く。でも、奥さんに「なまけものになりなさい」は誤解されやすいと言われても、水木しげるはこの言葉を言い続けたらしい。怠惰を憎むこととなまけものになるということは相反するものではないということかもしれない。ゼノンとエピクロスが割りと意気投合したように究極のところでは同じか。

無駄にストイックに生きる必要はなくて、嫌なことからは避けて、自分の好きなことに時間をかけなさいということなら、怠惰でもなく、見方よってはなまけものと言えるかも。この間受けた面接は落ちていた。クソが。人生で面接に受かった試しほぼないんじゃないか俺。社会殺すぞマジで。嫌なことは避けてなまけものとして生きる。でも怠惰とはちゃんと向き合う。

図書館で適当に手にとって借りてきたけど、案外スイスイ読めた。個人のブログを読む楽しさと同じ。成功者でない人間の言葉は響く。

水木しげるは戦争に行く前めちゃめちゃ本を読んだらしい。ただ死ぬのではなく意味付けをして死ぬ。

 

頼りにするべき教養がまだ準備できていないための、まさに苦肉の読書だったのです。一発勝負の読書でした。この読書で得るものがなければ、死ということの意味すらわからずに死ぬことになるでしょう。それを回避するためには、書物と真剣に向き合わねばなりません。荒俣宏 戦争と読書 水木しげる出征前手帳

 

戦争と読書  水木しげる出征前手記 (角川新書)

 

 

二年半ぶりに塾のバイトを

二年半ぶりに塾のバイトを、週に1〜2コマ程度やっている。この感覚、授業のあとの高揚感、塾いいじゃないかやっぱり、こういうふうに毎日生きれたらなと思う一方で、塾に就職しても、あの罪悪感、生徒に十分なものを与えられていないという罪悪感を、多くの学校教師と同じようにまた感じるのだろうと、やはり自分で開業する以外にない。それが可能になるかもしれないわずかな可能性がある、ので、そこを当てにしつつ、それとは別に明日半官半民の会社の面接結果が来る。これはまあ、クソつまんなそうな仕事だけど、福利厚生充実してるようなので、俺の切羽詰まった状況から考えれば受かったら入ったほうがいい。またこれも前回の営業と同じように、なんで俺こんなことやってるんだムードに包まれるだけかもしれないが一旦、一旦、ずーーっと無職半年くらいやってきて一個受けてみただけで、失業保険認定のためでしかないと思っていたが受かっていそうならそれはそれで受かっていてほしい。ああ。お母さんがカレーを作って、いつものように教会へ行った。歌番組を見るばあちゃんとお父さんが茶の間にいるので俺もすぐにカレーを食べに行きたい腹も減っているでも塾バイトの高揚感を残しておきたいと思ってブログを書き始めたのに大したことが書けていない。誰からも指示されず、自分の好きなように、ぬるま湯の指導を、安い月謝で出来たらいいなと、そうでないのなら塾は基本良くない。昔の生徒や今の生徒が学校で5限を受けている頃に今日俺は目覚めて、そのままオナニーをしはじめた。腐った生活であることを忘れていた。若いエネルギーに触れると俺も元気になる。腐った生活に歯止めをかけているのは彼女の存在もある気がする。いてもいなくてもいいと思っていたが、やはりいなくてはいけない気がする。無職で、スプラトゥーンを250時間ほどプレイしてS+になっただけで本も読まず映画も見ていない27歳。まずい状況だが幸運も舞い込んできている。働いていた頃よりも、「詰み」という感覚が薄くなっている。