沈黙-サイレンス- レビュー

初めて英語で外人と話せるワクワク感無しに皆スムーズに英語話すのcoolすぎる
宗教が生まれ、広まるうちにその本質が消えていく。仏教にしてもキリスト教にしても日本に広まるまでに大きく変わっていく。そもそも神父もその本質を知らない。宗教は基本そういうもの。誰も本質を掴んでないのに形だけがある。アンドリューガーフィールドは最後本質に辿り着く。
色々悩んで間違った選択もした挙句こんな人生になってこんな感じに悟りましたチャンチャン的な話ではアマデウス観たあとのウワーー深イイ話みたいな感動があってgood
急に理解る!の感覚。初めて本質が掴めたというその瞬間、みたいなのがある作品、フラニーとゾーイーラスト、ねじまき鳥の間宮中尉を思い出す。
なんでもいいからすがれるものが必要なだけで、どの宗教でも良いんだろうって冷めた目で見てしまうけど、神いないかもと疑いながらもそれでも信じるという姿勢で信仰しているのを見るとちょっと感動する
こういうエリエリレマサバクタニ問題の他に悪人正機説(キチジロー窪塚のような人こそこそ救われるべきでは?問題)とか、そもそも日本にキリスト教は根付くのか問題とか、布教の善悪問題とか扱ってるテーマがめちゃめちゃ多い。
布教の善悪、良いものだから、正しいものだから人に勧めるのは正しいのか否か。現在の日本でのカルト宗教の布教は悪で、アンドリューガーフィールドの布教は善なのか。仏教とうまくバランスとってた日本に、正しいものとしてキリスト教を持ち込んで不幸が生まれた。良いものが良い結果を生むとは限らない。
ウルフオブウォールストリート>沈黙>>タクシードライバー>>グッドフェローズ

沈黙 -サイレンス-(字幕版)

塾なら俺でもできるというわけではなさそうだ

フセと電話して彼女が可愛いと言われたので嬉しくなった。中出しに慣れてきてしまって、このままではいつか結婚してしまうのでは。というか次ちゃんと生理は来るんだろうかと弱っていたところからの肯定。everything's gonna be alrightの気分になったのでそれを記録しておきたい。ついでにその他思い出せる今日昨日のことを書いていく。

フセと電話する前はるるるさんとスプラトゥーンでサーモンランをしていた。2011年頃Twitterでフォローして、たまにリプライ飛ばすだけの関係が続いている。ネット上の、頻繁に連絡は取らないが長く関係が続いている人、が何人かいることは幸運なことだと思う。もなちゃと、Twitter、すかちゃん、はてな、ニコ生。小6の頃に入り浸ってた個人サイトの、年賀状も交換した人たちとはもう連絡手段がなくなってしまった。

サーモンランの前はアルバイトしている市内の塾で二コマ連続。中3と中2の女の子。エンドウ豆がシワになる割合の問題がまったくわからなかった。今週は土曜日に社会の集団授業をしなくてはいけないのが心配。こんなことを心配する前に、就職をしなくてはいけない。ハロワ経由で正社員募集をしている塾に見学に行ってきたが、全く働ける気がしなかった。塾なら俺でもできる、というわけではなさそうだ。上司がいるという環境だけでもうきついんじゃないだろうか。

昨日はcakesに入会して左ききのエレンを30話まで読み、BUMPのライブで新潟に来た大学の後輩と飲んで、彼女に送ってもらいホテルに泊まった。無職なりに充実している。

水木しげる出征前手帳

深く知らなければ救はれない。広く浅くでは駄目だ。

 

吾を救ふものは道徳か、哲学か、芸術か、基督教か、仏教か、而してまよふた。道徳は死に対して強くなるまでは日月がかかり、哲学は広すぎる。芸術は死に無関心である。而して基督教か仏教かな吾を救と思へり。仏教にせんと思ふ。

 

宗教には情熱があるけれども道徳にはない。だから道徳はいやだ

 

一日中の行為みな怠惰の発動さらざるはないと言い得る程、怠惰は人性を支配している。怠惰、怠惰だらけの俺

 

武良茂は嘘つきの悪人じゃ、馬鹿者だ。こんな事では自殺したつて土が喜ばぬ。生きてゐたつて空気が喜ばぬ。寝てゐては夜が喜ばぬ。死んだとて、死ぬ資格はない。地上がけがれる。幾萬と重なる罪業の負債を、生ある限りをつくして支払うならば死ぬ資格もあらう

 

基督教を信仰するに最も困難なことは神の存在である。そして最も重大なるはこの神なんだそうである。神を理解する程度に基督教を理解するとは真か、そうであるとすれば俺は救はれない。道徳と愛とが自然(カミ)と関係のある事を知らぬ、自然は盲目だと思ふから…

 

裡を満せ。外を富すな。又富んだるが如くすな。ひたすら裡を富ませ。その故に自我は否定されなければならない。如何なる事があつても、ひたすら努めはげめよ。

 

汝は言ふ。過去の怠惰をも背負ふと。可也、果し終たれば幸である、過去の罪業は罪業が罪業を生み、果てしなく無限に広まっている。之を果すは如何にしても人間業の為す所ではない。汝の現在の環境、地位、凡て罪業の然らしむ所である。罪業あつての汝である。罪業は根深くして広い。罪業は根深くして広い。みよ。汝を囲む一切は過去の罪業の蓄積である。怠惰を気づき、克服すべきを知りても人間は依然として怠惰である。「彼等は言ふだけにして行はぬなり」とか至言なり。知りて行はねば無用である。罪業、一にも二にも罪業で形造られし過去の生んだ汝は、罪業の塊である。怠惰、怠惰、怠惰で死に至るのが人間である。怠惰で生きるよりは、死ぬる方が勝っている。怠惰なる生は無意義である以上、死をかけても無為を有意とするのが人間の指名ではないか。怠惰を克服するために死すとも、怠惰と妥協して生き長らへるよりはましである。まし所ではない崇高である。

 

二十歳の水木しげるが憎んだ怠惰を俺はそれほどには憎めない、が、元々怠惰は憎むべきものだと忘れていた。甘さにも限度がある。と思っていたら、ジジイになった水木しげるのキャッチフレーズは「なまけものになりなさい」だったという。怠惰を憎む言葉の数々に打ちのめされたのに、なんじゃそりゃって感じ。成功者として何十年も生きた水木しげるジジイのこの言葉よりも、何者でもないまま死を迎えそうな若者の言葉の方が響く。でも、奥さんに「なまけものになりなさい」は誤解されやすいと言われても、水木しげるはこの言葉を言い続けたらしい。怠惰を憎むこととなまけものになるということは相反するものではないということかもしれない。ゼノンとエピクロスが割りと意気投合したように究極のところでは同じか。

無駄にストイックに生きる必要はなくて、嫌なことからは避けて、自分の好きなことに時間をかけなさいということなら、怠惰でもなく、見方よってはなまけものと言えるかも。この間受けた面接は落ちていた。クソが。人生で面接に受かった試しほぼないんじゃないか俺。社会殺すぞマジで。嫌なことは避けてなまけものとして生きる。でも怠惰とはちゃんと向き合う。

図書館で適当に手にとって借りてきたけど、案外スイスイ読めた。個人のブログを読む楽しさと同じ。成功者でない人間の言葉は響く。

水木しげるは戦争に行く前めちゃめちゃ本を読んだらしい。ただ死ぬのではなく意味付けをして死ぬ。

 

頼りにするべき教養がまだ準備できていないための、まさに苦肉の読書だったのです。一発勝負の読書でした。この読書で得るものがなければ、死ということの意味すらわからずに死ぬことになるでしょう。それを回避するためには、書物と真剣に向き合わねばなりません。荒俣宏 戦争と読書 水木しげる出征前手帳

 

戦争と読書  水木しげる出征前手記 (角川新書)

 

 

二年半ぶりに塾のバイトを

二年半ぶりに塾のバイトを、週に1〜2コマ程度やっている。この感覚、授業のあとの高揚感、塾いいじゃないかやっぱり、こういうふうに毎日生きれたらなと思う一方で、塾に就職しても、あの罪悪感、生徒に十分なものを与えられていないという罪悪感を、多くの学校教師と同じようにまた感じるのだろうと、やはり自分で開業する以外にない。それが可能になるかもしれないわずかな可能性がある、ので、そこを当てにしつつ、それとは別に明日半官半民の会社の面接結果が来る。これはまあ、クソつまんなそうな仕事だけど、福利厚生充実してるようなので、俺の切羽詰まった状況から考えれば受かったら入ったほうがいい。またこれも前回の営業と同じように、なんで俺こんなことやってるんだムードに包まれるだけかもしれないが一旦、一旦、ずーーっと無職半年くらいやってきて一個受けてみただけで、失業保険認定のためでしかないと思っていたが受かっていそうならそれはそれで受かっていてほしい。ああ。お母さんがカレーを作って、いつものように教会へ行った。歌番組を見るばあちゃんとお父さんが茶の間にいるので俺もすぐにカレーを食べに行きたい腹も減っているでも塾バイトの高揚感を残しておきたいと思ってブログを書き始めたのに大したことが書けていない。誰からも指示されず、自分の好きなように、ぬるま湯の指導を、安い月謝で出来たらいいなと、そうでないのなら塾は基本良くない。昔の生徒や今の生徒が学校で5限を受けている頃に今日俺は目覚めて、そのままオナニーをしはじめた。腐った生活であることを忘れていた。若いエネルギーに触れると俺も元気になる。腐った生活に歯止めをかけているのは彼女の存在もある気がする。いてもいなくてもいいと思っていたが、やはりいなくてはいけない気がする。無職で、スプラトゥーンを250時間ほどプレイしてS+になっただけで本も読まず映画も見ていない27歳。まずい状況だが幸運も舞い込んできている。働いていた頃よりも、「詰み」という感覚が薄くなっている。

お願い

人のツイッターのお気に入りを見て、心に来る言葉がたくさんあったり、みんくちゃんねるで素晴らしいおっぱいを見たりして、スプラトゥーンをいらいらしながらやっているよりも、いい文章に出会う方が、いい女を見る方が価値があるなと思った。いやもちろん前から気付いてるけど改めて思った。スプラトゥーンのように、手に入れたら済むっていうだけの話かもしれないけど、でもいい女は絶対に知りたい。触りたいっ!!と思える肌、ドキドキやばいからのキス、待ち合わせ遠くから歩いてくるその子を見てときめくようなデートのはじまり、そういうものを経験しないと死んでも死にきれない。美的実存。彼女に対する気持ちはあまり綴らないようにしたい。文章にすると実際の気持ちとズレが生じて、後で読み返したときにズレた文章の方に当時の気持ちをあわせてしまう。というか、地元からのアクセスの多さに少し怯えている。ので最近の記事をいくつか消した。今思ってることの20%も書けていない。もどかしい

夢の中で蘇美に会った。階段で「えー言おうかなどうしよう、お願いがあるんだけど」と言われたが邪魔が入ってその先が聞けなかった。蘇美のお願いは何だったんだろう。

 

飛田遊郭

前日の罰ゲームでなくなった右眉を気にしながら同じく前日の罰ゲームである飛田遊郭実費をこなす旅行二日目。

TNK、tc、カオルと共に夕方、最寄駅を降りて昔ながらの商店街を味わった後に飛田遊郭へ辿り着く。喫煙所で煙草を吸いながらこの通りは青春通りで、あの通りがメイン通りだなとドキドキしながら確認。各店の看板は見えるが女の子は見えない。吸い終わり、お前が先頭を行けと言われまず一軒目、衝撃だった。衝撃としか言いようがない。あとを通る皆の雰囲気がざわっ……となった。あまりにも可愛すぎる。あまりにも可愛すぎた。これが飛田遊郭。左右からババアの声、その後に綺麗な子が笑顔で手を振ってくる。全く罰ゲームじゃない。一軒目の子ほどではないにしても皆綺麗な人ばかり。綺麗な人が左右の店から手を振ってくれる。二周では一軒目の子はいなくなっていた。二周三周としながら、TNKからの早く決めろよにイラつきはじめる。tcと共に歩きながら化粧薄めの美人と、肌の綺麗な素朴そうな子で迷い、肌をとった。20分16000円だが10分以内に果ててしまった。可愛ければすぐにイケるなら時間なんて短くて構わない。大満足。事後に見かけた超絶可愛い細身の人や、角から手を振ってくれた最高にタイプな子を思い出し、そして一軒目のAランクグラドル級の衝撃を思い出し、満足より後悔が勝る。

兵庫ではカープ二連勝、大阪では飛田遊郭、交通費宿泊費無しでの関西旅行は満足だった。現在一人新幹線岐阜羽島駅明日からのスプラトゥーンを楽しみにしながらブログを書く。スプラトゥーンをやるまでは絶対に死んではいけない。生きて新潟に帰る。

ぷよm@s—少年漫画原理主義に則って

ぷよm@sをまた見ている。少年漫画の文法で熱い展開が多くて面白い。努力と才能と環境、持つものと持たざるものの戦い。皆別々の世界で生きてきて戦う。そこにドラマが生まれる。そんな話が好きなのに、現実の俺はその違いが嫌で不貞腐れている。努力をしていないからアクマのように散ることもできない。己の珠に非ざることに悲しみ暮れる趣味。

定期テストのときのように、効率を楽しんでいたときがあった。TOEICのときのように長期的に努力できたときもあった。今は何にもなれないしどこにも行けない気がして動画の毎日。

経験と歴史、思索と読書、内からと外から。前者を燃料に進める星井美希と、後者から学び溶かして自らの一部にする真や千早。皆知識を溶かしてる。俺は本読んでも何にもならんから自ら考えて生きやすい方法模索しようとしてみたり、考えても役に立たないからひたすらインプットしようとしてみたり、どうせ全部忘れるからせめて英語やろうとしてみたり、右往左往が嫌になってぼーっとネット散歩からの手しごきサイクル

自分の人生の勝ち負けだけを気にしてるから悩むのか。自分よりもっと広いもののために、美的実存ではなく倫理的実存への道が開ければ馴染めるか。結果いつか宗教的実存を目指すことになったとしても、そんで虎になったとしても、このまま怠惰に生きるよりはマシ

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