だらだら

「ものぐさ精神分析」の自己嫌悪の効用の章を読んだ。

p.324

「自分のある面を嫌悪するのは、はるかにもっと嫌悪すべき別の面を隠すためである。(中略)さらに彼は、廃品回収業としても失格であるくせに他の廃品回収業を軽蔑し、自分が彼らより一段高級な人間であるかのような錯覚を持つ。その錯覚を支えているのが自嘲ないし自己嫌悪である。」

いつか、おっぱいもませてくれと言った後に帰られてしまったこととかそこらへんも思い出すがそれはさておき、そう、営業でいることを自嘲しているのは実はまわりの営業をばかにしていることに繋がっていたんだと気付かされた。(というより気付いていたことに言葉が与えられて明確になった)

英語の勉強やエクセル、アクセスの勉強は逃避。営業やってるなら営業の勉強しろやということで「質問方営業最強フレーズ50」を買った。社内のコミュニケーション円滑化のために「内向型人間が声を話し方でソンしない本」を買った。

今こうやって、適当に買った本たちが繋がって、こりゃがんばってやろうかなという気持ちになっているが、ほどほどに。またダンスしない自分に戻ったときに自己嫌悪かますだけ。だらだらゲームはする。だらだら妄想はする。でも人間関係にだらだらしない。自分のことをする。

今日は会社の年始の集まりだった。顔が死ぬほど痒くて掻いたら次の日顔真っ赤になる地獄体験してみろこれで生きてる俺のほうが偉いだろゴミが死ね死ね死ねという気持ちで会社を出て本屋に寄って「スティルライフ」と「ものぐさ精神分析」を買った。最近の俺は自己嫌悪は弱いと思うんだよな。ゴミのような行為をしている自分が本来の自分だっていう感覚が前より強い。

 

追記

ブログ読み返して本のタイトルタイプミスに気付いたが直さない。やったほうがいいことはしない。忘れないように。ほんとこの、生活で気をつけたいことをブログにメモしても読み返したときは色失って何も意識しない自分に戻ってるんだよな。でもまぁぐるぐる回転しながら宇宙単位では進んでいく太陽系の中の地球の感覚でいこうよ三歩進んで二歩下がるの感覚で、でも時間の流れの老いも計算に入れると一歩進んで二歩下がるになってるかもしれんけどそれが人生でしょ?!いやマジで。文章どんどん適当になってるしどうどうどうでもいいんだけどアーほんとに、こういう文章書いてるときってだめだめな自分実は好き感マジMAXだな俺。人間失格で逆上がりわざとミスったのバレたのを恥じてるくせに女ぼろかすにしてるのは特になんも感じてない葉蔵的に

ものぐさ精神分析 (中公文庫)

ダンス

今週のお題「2017年にやりたいこと」

死にたい。踊ることもだるい。

ダンダンダンス上p.182

「そう、それだよ。傾向。おいらは思うんだよ。もう一度人生をやりなおしても、あんたはきっとまた同じことをするだろうってね。それが傾向っていうもんだよ。そしてその傾向というものは、ある地点を越えると、もうもとには戻れなくなっちまうんだ。手遅れなんだ。そういうのはおいらにも何ともしてあげられない。おいらにできることはここの番をすること、いろんなものを繋げることだけだよ。それ以上のことは何もできない」

「どうすればいいんだろう、僕は?」と僕は前と同じ質問をもう一度してみた。

「さっきも言ったように、おいらも出来るだけのことはするよ。あんたが上手く繋がれるように、やってみる」と羊男は言った。「でもそれだけじゃ足りない。あんたも出来るだけのことをやらなくちゃいけない。じっと座って物を考えているだけじゃ駄目なんだ。そんなことをしたって何処にもいけないんだ。わかるかい?」

「わかるよ」と僕は言った。「それで僕はいったいどうすればいいんだろう?」

「踊るんだよ」羊男は言った。「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言ってることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考え出したら足が停まる。一度足が停まったら、もうおいらには何ともしてあげられなくなってしまう。」

 

このあとも羊男の説教は続く。固まってしまったものをほぐせと、きちんとステップを踏んで踊り続けろと。そのあと主人公は「さて」と言う。さてのあとが続かない。俺も続かない。さてさてさてさてさてさて

カオルがログインしたからオーバーウォッチをやる。意味なんてないし考えるのも無駄だけどそれで踊りもしないでゲームをやってそんで会社に行くとうまくやれなくて落ち込んでしまうんだな、その穴を埋めるのは可愛い女でしかない。一度足停まってしまうと羊男でもなんにもしてあげられなくなるんだってさ。固まったものが多すぎる。ほぐしていくのはだるい。どんどん固まる。

つまんね、なにしててもつまんね。ブログ書くのもスノボもオーバーウォッチも全部つまんね。

顔にアトピーが出てきて赤くなってるから死にたい。彼女がいないから死にたい。仕事がうまくいかないから死にたい。実は超シンプル。わかってる。

2017年の目標。くそみたいに過ごしちゃうのはわかってる。俺の傾向だから。その傾向はもう仕方ないあきらめる。その中で救われる。

 

追記

だらだらしないで自分のことをやるっていっても、その自分のことってのが目標だもんな。その目標は考えてなかった。とりあえず今はまともに声出せるようになりたいな。

ゲームの時間、漫画の時間は削れない。やったほうがいいことをやらない勇気。運極を一体作っておいたほうがいいかな、とかアクセスできたほうがいいかな、とかをやめる。

オーバーウォッチ

今年最後にブログを書く。今は深夜五時。さっきまでカオルと藤野とパーティを組んでオーバーウォッチをしていた。俺はザリアを、藤野はロードホッグを、カオルはメイやファラを使っていた。ゲームは無駄。でもゲーム以外の行為も意味があると思えない。2017年はだらだらしないようにしたいと考えている。仕事や人間関係にだらだらしない。悪化した関係は放っておく。くだらないと思った仕事はやめる。自分のことをする。でもその自分のことっていうのがオーバーウォッチじゃだめなんだよな。俺が救われる道は、仕事ができるようになること。可愛い女の子に承認されること。

三週間前にオーバーウォッチを買ったのは彼女と別れたから。俺の光る爪を見る。ここまで書いて手が止まったので爪を見ていた。NYと出会ったばかりのころのことをブログに書いている。それを読み返す気はない。はじめから罪悪感を持っていたな。女と付き合ってまともな人間に近づいているこの時期にまた女と知り合わないと。対女能力はザリアのバリアのように溜めても少しずつ下がっていく。また街コンにいけるなと思った。カオルには、○○は彼女に対しての罪悪感より、自分はなんてだめなんだっていうので落ち込んでるだけでしょと言われた。まあそうなんだけどさ、彼女に対して悪いとも思っているよ。俺がどう思っているかとか関係ないよな。この、自問自答モードになること、センチな気分深追いモードのダシに彼女を使うのもなんだかなと思ってオーバーウォッチを買ってそれだけをやって何も考えないようにしてた。彼女と別れてから仕事も全然うまくいってないのよね。

仕事の承認と女の承認があれば、たぶんあとはどうでもいいな。自分がなくなってもいい。ダメな自分が好きな自分とか、漫画が好きな自分がなくなっても、こういうブログを書く自分がなくなってもいい。ブログを書くといつも気持ちが落ちる。

 

オーバーウォッチ オリジンズ・エディション - PS4

 

 

「五年生」木尾士目

なんでブログ消えてんだよクソが。もう書く気にならねえ

新井英樹は現実を汚く描いてデフォルメをしていて濃くて美味い。

木尾士目は現実を綺麗に描いてデフォルメをしないから辛くて美味い。

君の名はは現実を綺麗に描いてデフォルメもするから甘すぎる。

そういうことを書いた

エロスサイコウ展

新潟から浦和、柏と小売店を周り、神保町にて少しだけ買ってくれてる大企業に夕方。挨拶にいって初めて会う担当と話が盛り上がったところで追加で二人偉そうな人が来る。名刺を受け取るタイミングがぐちゃぐちゃでテンパる。特になにしに来た訳でもなく挨拶に来ただけですと言ったら正直過ぎだよと笑われた。失笑が含まれた笑いで、これはしくったなと思った。また来てくれと言われて嬉しかった。初対面の挨拶や、帰り方の作法の失敗は腐る程している。改善方法がわからない。この手の、俺の挙動の不自然さによる失敗はもう諦めている。許容範囲。聞かれたことについて最低限喋れたのでもう良しとする。

秋葉原山田玲司ヤングサンデー主催エロスサイコウ展に行く。入り口、山田玲司がいた。おっくんもいた。こんなことってあるかい。ここ一年で一番見た番組、というか一番見たコンテンツ。俺にとってさんまや有吉よりも馴染み深い山田玲司と奥野望が普通に入り口で喋ってた。狭い入り口なので、入って目があって、ファミリー?と聞かれた。はい、やばいです。いきなり二人ともいるなんてまじでやばいです。一年前に相談したことがきっかけで彼女できましたと報告した。ずっと見ている二人なので俺としては親近感ばりばりだったが二人からすれば初対面の人間なので、テンションは低かった。番組でテンションの高い二人を見ている分そこが辛かった。一通り喋ったあとに、軽く流されてしまった気がして悲しかった。美術展なので展示されてる作品を見るべきだけど、まさかの本人たちを目の前にして適当に絵を見ることに集中できず、かといって話しかけすぎることもできず、ふわふわして過ごした。写真を撮れたことが嬉しい。最後にもう一度おっくんが話しかけてきてくれたのに、俺はささっと帰ってしまった。コミュ障特有の帰り方の作法の不自然さにまた胸が痛む。しかし想定内。

このコミュ障感を反省する間も無くhgkと会う。予定よりかなり遅れてしまっていた。syrup15gさんに連絡したが免許合宿とのことで、hgkに連絡した。学科で一番仲良くしていたからこそ、会ってなにを話せばいいかわからなくて5年間会わずにいた。大企業の偉いさんや、山田玲司奥野望にコミュ障爆発させたあとのhgkは心地良かった。三年ニートした後にコネで大企業に入ったクソ野郎。新小岩でつけ麺を食った。あ、思い出した。お前体温感覚おかしいもんな。と言われたタイミングで大学時代に戻った。話す話題がなくなるのが怖かった。それでもまだ一緒に話したくてすき家でビールを飲んだ。今木場のカプセルホテル。外国人だらけ。エレベーターでハイと言われ喫煙所でハイと言われ、全く笑顔で返せずコミュ障感を取り戻して貸切の風呂へ。

本当に、今しかないのだというチャンスで、話したいことを話せず去る人生だ。俺はビフォアサンライズの電車内でセリーヌには絶対話しかけられない。閑散とした狭い展示場でおっくんを目の前にして、必要以上に遠慮してそそくさと下手な挙動で帰る。超人を目指して飛ぶ一本の矢、憧れの熱意に対して観客でしかない。プレイヤーを目の前にして試合をするということから必ず逃げる。女だけでなくなにに対しても。憧れの熱意には焼かれてしまう。覇王色の覇気にやられる雑魚。雑魚だが俺にだって地獄はある。俺の中の俺は頑張っている。俺の中の俺の物語は面白い。俺の中の俺の面白さを、できれば外に発表できる力が欲しかった。創作ができる人は面白い人間ってのは間違いで、ほんとはみんな面白い人間で、創作ができるのはその面白さを外に出せる人、だったりするのかな。違うか。どうでもいい。セミダブルとは思えない狭さのカプセルの中で、もう一時間もブログを書いている

 

 

 

爆発的

ただただ暇だからブログを書こう。ブログを書けば何かが見つかるかもしれない。送別会で泊まり。楽しくないので自分の部屋に籠る。騒ぐのが良しとされる会社で、新人なら郷に従うべきなのはわかるが、ノリが重視され、かつつまらない場にわざわざいく気力はない。かといって、一緒に寝ている40歳平社員のいびきがひどすぎて寝ることもできない。明日は出来れば彼女と会いたい。彼女と電話はしたくない。彼女と会って、ゆっくりとした時間をホテルで過ごしたい。電話をしたくないのに会いたいとはどういうことだろう。愛してないということか。この間、彼女の家に行きたいと言った。親と遭遇するかもよと言われた。後々、別れるかもしれないのに、親と会うとかきついと言われた。

おとぎ話みたいを観た。爆発的に面白い映画だった。先輩のいびきが爆発的にうるさい。真似ではない本物の映画を撮る人がいる。俺はそれではないから、会社員をしている。営業をしている。写真を撮りフォトショで抜き、エクセルで資料を作ってアクセスでデータを集計し、社長に雑巾持ってこいと言われれば雑巾を持ってくる仕事をしている。そしてつまらない上司の言うつまらない冗談を、愛想笑いで返したり、つまらないという顔をしてしまったりして、うまくやれずに毎日を過ごしている。おとぎ話みたいを撮れるような人は、山戸結希は、凄い。嫉妬は感じない。ただ凄い。ダンスのシーンの力技。それだけですべてを持っていく破壊力。ハイキューのウシワカのように、ただそれだけで試合を勝ち取るパワー。

いま暗闇の中、専務の息子が、寝るの早くねと言いながら部屋にあるビールを持っていった。

 

一回でも俯瞰させてくれれば

地獄のように生産性のない日曜午後。二連休はいつも土曜ホテルに泊まり朝帰り午後寝て夕飯前に起きて母親の作った飯を食いそこからずっとyoutube。その時間が苦痛。日曜午後が苦痛ならいっそ夜まで遊べばいいじゃないかと思うけども

浮気がしたい

仕事が前ほど辛くなくて、彼女とも楽しく過ごせていて、でも停滞感を感じるって、これ普通すぎるな。最近見た映画はシンゴジラ、君の名は、声の形って、普通すぎるな。

普通であることは問題ない。エクセルとかアクセスに慣れて、仕事できるようになりたいなとか、浮気したいなとか、普通の向上心と普通の下心で、さんまのお笑い向上委員会見て、出てきた芸人の名前でまた検索して、また中川家の動画見て、

何に悩んでるのかもわからないな。単純に、仕事でもっといいポジションについて、彼女とうまくやりながら他の子とも遊んだりしたいな、それで、先細りしない形で人生やっていけたらなっていう、でもそれがたぶんできないだろうなっていうことに悩んでるのかな?こんなゴミみたいな普通のことで悩んでるんだったら別にそれはそれでいいんだけど

この今の気分にぴったりの小説を三連休に読みたいな。彼女に会いに行く車の中、クリープハイプを聞きながら、浮気する妄想をしていた。クリープハイプなんか聞き始めて、ラッドウィンプスなんか聞いて、響けユーフォニアムを楽しみにして、さんまのお笑い向上委員会を見て、俺のようなやつは死ぬほどたくさんいるな。俺は特別な存在のはずっていう気持ちなんてもうなくなってたと思ってたけどこれにショック受けてるってことは割とまだその気持ち残ってるってことやん?いや、それは別にあってもいいんだけど、やばいよね。朝帰りが多くなって母親に心配をかけている。母親ももう俺が統一教会の結婚をすることを諦めている。誰と会ったのとか聞いてこない。ああ、ああ、シンゴジラも君の名はも声の形も面白かったよ。マイインターンだって恋人たちだってセッションだって面白かったよ。俺の全部をなんかえぐってくれよ、そういう何かを欲しているよ。それはたぶん小説なんだよ。映画じゃない。漫画でもない。本なんかほとんど読まないけど、たぶんそこらへんをえぐってくれるのは小説なんだよ。ほうれん草食べたいって思うときは体がほうれん草欲してるときなんだよ。今は小説なんだよ。でも何を読めばいいかわからない。小説っていうところまではわかった。もしタバコの中毒者が記憶を失って、タバコのない世界線に飛ばされてしまったら、自分のこの欲求をどう満たすんだろう。タバコの禁断症状が出ているのに、それを認識できず、原因のわからない満たされなさに耐え続けないといけない。俺は今たぶん小説なんだって今ブログを書きながら思ったけども何を読めばいいのか。ここ半年で読んだ小説はコンビニ人間だけ。たぶんベストセラー系を読んでもこれはたぶん無理なので、じゃあ誰なの?春樹とか龍とからもとかそういう、今の言葉で書かれてて読みやすくて今平積みにはなってないやつで、いやーどうでもいいのかな。今マジで胸と喉が痛い。逃避がしたい。

世界が開ける瞬間、を声の形でもやっていたな。声の形で泣いたと言ってた彼女にどこで泣いたのか聞けばよかったな。リアルでの高橋の、プロレスのシーンでの世界の開け方は本当に素晴らしいよな。彼女にリアルを貸して、面白かったと言ってくれるけど、いろんな感想を言い合える感じじゃないのが寂しいな。ただ、朝彼女に抱き着いてテレビを見てたりするのが欲しくて、毎週会っている。もっと映画の話を詳しく話し合いたいとか、もっと一緒に歩いてて誇らしくなるような子だったらとか、もっとHがうまかったらとか、考えてしまうけど、大事には思っている。というコレは、付き合ったばかりのころと俺の気持ちが変わってないわけで、あ、コレやばいのかもなと今思った。やはりこいつしかいないと思うために、思い込むために、やはり浮気は必要なのでは。小説なんかじゃなくて、美人とデートできるだけで俺のあれは埋まるんじゃないかな。浮気の罪悪感とか、彼女を悲しませるかもしれないとかで心はつらくならない。ただこの生活のこの感じが俺の人生の社会人パートの幸せのMAXで、これからただ先細りするだけなんだと思うと絶望がある。仕事も彼女も沈みゆく船のイメージがある。乗り換えられるように準備したくなる。そうやって煩悩に振り回されなければすべてうまくいったのにね、欲望に負けてこの主人公は不幸になったのでした、という物語になり得ると俺の人生を一回でも俯瞰させてくれればおとなしくじっとしているよ。そんな物語いくら見たって教訓になんかならないよ。この満たされなさがある限り、だめなんだよ。美人がいないならせめて、これでいいのだと思わせてくれる小説を読ませてくれ。深夜特急か?深夜特急という言葉がふと浮かんだがこれは啓示か?深夜特急はマカオの描写のシーンで聞きなれない言葉が出てきて萎えるんだよ。ああ、胸がいたい。満たされなさで胸がいたい。

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)